コロナ禍の不良
最近不良ってあまり見かけなくなった。
という声をときどき聞くことがある。
昔不良だった人や、昔ある程度不良というものと触れ合ったことがある人はもしかしたら今学生や街を見るとそう感じてしまうのかもしれない。
僕は今回コロナショックになったときに、そして今現在の街を見ていると街に不良がいないなぁと感じてしまっている。
皆が四六時中(自転車や車の運転中なども)マスクをし、人との距離をあけ、出かけなくなっていた。
しかしひとたび宣言が解除されれば、それがまるでなかったかのように出かけたり、元のままの生活を送る人を見かけることがある。
そう、僕が、そして多くの人が思っていた不良というのは実は人と違う決断をする人のことであり、あまのじゃくにしているだけの人ももちろんいるかもしれないが、それでも多くの不良たちは、実はじぶんの頭で判断してじぶんで決めている人だとも言える。
オレは公園の散歩でマスクは付けないぜ。
自粛と言われているけど、行きつけの飲み屋は営業しているからオレは行くぜ。
母親が心配だから会いに行くぜ。
どの決断もコロナ禍では多くの人から非難されるような決断ばかりだし、応援できるものでもないとは思う。
だが僕はこんな人がもっと居ると思っていたのだ。
そうは言うけれど〜それが正しいのは分かるけど〜だけどそうではないものを選んでしまうよ。
と言って輪を乱し、大勢とは違う行動をする人。
そういう人もいるのが人間だし、理屈や正論、正しさでは下せない判断をできることが人だとも思っていたからだ。
コロナ禍でみんなで団結して乗り切ろうとする姿勢がいいなぁ〜と思う半面、そんな変な寂しさも抱えていたりもします。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
「みんなが同じ」に近づくことには一抹の不安を感じるタイプです、生き物って異なることに素晴らしさがあると思っているので。
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