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生きているということ

昨晩夜中にふとトイレに行くことで起きた。


普段ならそのあと数秒で寝付けてしまうのだが、なぜだかそのときは寝付けなかった。


そわそわしていたのかもしれない。




なんだか夜中のような明け方のような時間で、泣きそうだけど泣けないし、眠れないし、でも寝なきゃだし、と落ち着かなかった。


そしてその日三浦春馬さんがお亡くなりになったというニュースが、どこかで尾を引いていたのかもしれない。


友人も自死は朝を迎える少し前だったと聞いていて、もしかしたら三浦さんも、そして今起きている僕も同じような時間で、はかり知れるはずもないのだけれど、友人や三浦さんに少しだけ思いを馳せた。



そのときふと、あっ、僕って生きてる。

と思ったのです。


「泣きたい」も「泣いてる」も「泣きながら寝ちゃった」も「泣けない」も、はたまた「お腹空いた」とか「悔しい」とか「眠い」とかも全部ひっくるめて、こりゃ『生きてる』だなぁと思ったんです。


そう思うと改めてネガティブだとか、ポジティブだとかは関係なく、何かを感じることそのもの自体って生きてることと繋がっているのだなぁと。

そして感じたことを感じることによって、初めてネガティブだとかポジティブが存在するのだとも思えた。


そうしたら、生きてるなぁと腹から思ったら、少し気持ちが落ち着いてきて、そのまま眠ることができました。


嫌なことを感じることも、生きてることの一部。

などと初めて思えた感覚だったので、何とか文章にしてみました。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
嫌なことが人生の一部だけど、その嫌なことを感じたくない、見たくないと思うときに人はじぶんでじぶんを葬るという選択をすることもまた事実です。

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