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いつでも機嫌がいい人の怖さ

機嫌がいいこと、じぶんでじぶんの機嫌が取れること。



年々その部分の価値が上がっているが、いざ翻ってじぶんを見てみると、いつも機嫌がいいこともないし、機嫌を取るのが上手なこともない。



そしていつも機嫌が良くて、変化の少ない人が必ずしも一緒にいて、心が波立たないかと言われれば、ボクは案外そんなことはない。




むしろ逆で、つまらない時はつまらなそうにして、おもしろい時はおもしろそうにして、イライラしている時は明らかに顔に出る。
そういう人の方が相手の本心や心を想像しなくて楽だなぁと思ってしまうことがある。(もちろん威圧的で操作的なものは苦手だが)




いつも機嫌が良く、変わらないと言っても、それはその人なりに処理してくれているということ。
我慢して溜まっていけば、いつか限界も来てしまうし、こちらも気をつけなければ無礼をはたらきやすくなる。



機嫌がいいことがサインにならない以上、常にこれはどうかな?と頭を働かせるようになることを考えると、機嫌が出やすい人の分かりやすさが愛おしく、またコミュニケーションコストが低いように見えてくることもある。


そして市川崑監督の『黒い十人の女』の台詞にこんなものがある。



みんなにやさしいということは、誰にもやさしくないということ。



機嫌が出にくい、何でも変わらないことの不自然さは度を越えれば不気味にすらうつる。



なぜなら人は気分や感情で生きていて、人によって、出来事によって、態度や考えをコロコロ変える生き物だからだ。



嫌いな人に冷たく、好きな人にはやさしい。
信頼できる人には甘え、依存できる人には寄りかかる。



差があることが普通であり、刻々変化するのが普通なのだ。
誰の前でも同じだということは、誰のことも信頼していないのかもしれない。



ボクらはマシーンではないのだから。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
機嫌をじぶんで取ってばかりではいられないのさ。

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