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手間暇を惜しまない

僕は日頃から「急いでる人は早くない」と話していて、だから急いだり、焦ったりしないで、いろんなことはまず落ち着いてやるのがいいと思うよ、と話してきた。


しかしそんな偉そうなことを言ってきた僕も、じぶんが日常で急いだり、焦ったりしていたのだと、痛めた腰が治りかけの段階で気付いた。


痛めているときはほとんどのアクションで痛みを感じ、動けないのでよくわからないが、治りかけてくると痛める前の日常でしていた動きを少しずつ試すので、動かせるところと、まだ動かせないところが、できないことがあることに気付く。

そしてその感じた痛みは、痛みによって意識した身体への負担だ。


今回特に感じたのは、かがむ(しゃがむ)こと、立ち上がることというのは最後まで痛みを伴い、「立ち上がる」「かがむ」という動作の間に、上半身から下半身の筋肉の収縮や力の移動、膝をついてかがんだり、膝をついて立ち上がったり、そもそもの動作自体をゆっくりにしたり、普段意識していなかったが、途方もない程全身が軽やかに連動しなければ「立ち上がる」「かがむ」という動作は、壮大な運動となってしまう。

しかし健康な人が、落としたものを拾って、また立ち上がるのをいとも簡単に行えるのは、身体が健康で、かつ各所が連動しているからこそ「立ち上がるぞ」とは思わずに無意識に行えるのだ。


今回は僕の場合は腰だったが、おそらく日常生活を送る中で気付けていない当たり前に行う動作や行動が、実は運動としていろんな手順をすっ飛ばして行われていて、けれど身体が幸い健康なために出来てしまっている。
ということが、あらゆる所作の中であるのだろうなぁと今回強く思った。

かけるべき時間をかける。
かけるべき手順をかける。

それは日常の、生活の中にある無意識の当たり前の中にこそ、ほんとうはあるものなのかもしれない。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
そんなに急いで、どこ行くの?



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