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これからの時代の成長

冗談ぽくは話していたけれど、友人が自身の友人にお願いしたリフォームの仕上がりが納得がいかないと話していた。

その友人が一般的な人よりも細部へのこだわりが強いからだとも思うが、だからこそ細部へのこだわりに応えてくれる、話せるであろう元々の友人に依頼したという経緯まで考えればその気持ちは痛いほど理解できる。



その会社はビジネス的なことでいう毎年成長している会社らしく、一人のデザイナーが抱える案件も何件も同時平行で、素早くそれなりのデザインを上げてお客さんに喜んでもらっているとのこと。


しかし友人は素人の僕の目から見ても、それなりのデザインに喜ぶタイプではない。

スピードよりも材質やデザイン、歴史などに重きを置いている。


もちろん友人のミステイク、それはまったくその通りなのだけど、友人の友人は家のリフォームを頼まれるくらいの仲なのだから、友人の気質については知っていたはずだ。

そしてじぶんが所属する場所の成果物と、友人の好みを照らし合わせれば不一致が起こって満足感が得られないことは想像できそうだ。


しかしそれができなかった、しなかったのはやはりその友人の友人がじぶんの価値観、立場、短期的な成果や数字、実績を欲っして友人としてではなく、顧客として見てしまったことが今回の結果を生んだのではと思う。


おそらく彼もリフォームを進めながら、心苦しかったはずだ。
友人も意にそぐわないリフォームで心苦しいはずで、二人の関係も距離が生まれてしまったという。


誰も幸せにしない事態を生み出す大きな要因は、毎年成長するという幻想から来ていて、短期的に今、得。を積み重ねていくと成長しているように見せることができる。

しかし今回の事例のように数字の上では成長、成果になっているものの、当事者は生きやすくなってはいない。


これをしたら周りの人がそれぞれ幸せか?

じぶんや関係者がこの先、生きやすくなるか?

今日やったことは家族に、友人に胸を張って話せるか?


毎年成長もとても素敵なことだけど、数字を増やす以外の成長の形もあって良いのでは?と思う昨今です。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
知ってることが人に言えないことばかりじゃ、空がまた暗くなる。





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