人はみんなそれぞれ

アルベールカミュの小説『ペスト』は、ペストに犯された街が感染拡大を封じ込めるために都市封鎖され、その街の人々の悲喜こもごもを記した作品である。


その中にコタールという登場人物が出てくる。


コタールは仲間のたれ込みによって逮捕間近だったが、都市封鎖によって、その危機から逃れることができ、ペスト蔓延や都市封鎖に救われた立場であり、それらが続いて欲しいと思っている登場人物である。


コタールという登場人物が魅力的なのは、危機的な状況になる前の、変化してしまう前の世界の方が居心地が悪かった人がいるという視点だ。


俺は今の、都市封鎖された世界の方が居心地がいい。


という人が確かに少数だとしても存在するのだ。


そしてこのような視点は現代にももちろん通じている。


例えばテレワークで、休校で、と決定して仕事は勉強は好きだけど、そこにいる人と関係がうまくいってなかった人からしたら今は天国だろうし、逆に家の居心地が良くない人にとって今の状態は地獄だろうし、昔から住んでいた自宅周辺が繁華街になり、夜の騒がしさに苦しんでいた人には今の静けさはありがたいものだろう。


つまり一概に、細かいところの快不快に至るまで人は人と同じわけではない。

みんなが同じようにつらいわけでも、リラックスしているわけでも、暇なわけでも、忙しいわけでもなく、それはそれぞれ、みんなそれぞれまるで違う。


こういうときはじぶんと同じ感情を、多数派の感情が一方的に優先される傾向が強くなるが、そんなことはない。

かつての生活の時のように目を凝らし、相手が感じたいことを感じられる余白は残しておきたいものだなぁと思う。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
みんな感じること、思うことまで同じである必要はありません。

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