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人の品や品格と呼ばれるものについて

思えば何でも残る時代になったと思います。


誰が、どこで、何を、いくら使ったかなんてのは意図せずとも残ってしまったり、またボタン一つでほんとうはその場限りで過ぎ去ってしまう当事者同士のための性交渉の記録すら簡単に残せてしまったりもします。


でもそれは、人が自然に過ごしていたら過ぎ去って、姿形を変えて、忘れて、手からこぼれ落ちてしまうものだからなんとか残そうと試行錯誤してきた進歩である、とも言えると思います。



けれども最近思うのです。
品とか品格とか言われてるものって、残すか、残さないかの選択の繰り返しによって身に付いていくのではないか?と。

今までは残せないのが、デフォルトでした。

しかし残せることがデフォルトになった時代。

僕らがある種の『品』を、じぶんに宿らせる方法は「残せるけど、残さないものを選ぶこと」、あるいは「それでも消え去るものに気付くこと」ではないかと思う。


黙っていても変わり続けるのが、生きているということだと思うのですが、それに抗い残そうとする姿勢、残さないで今という時を楽しもうとする姿勢、そういう一瞬への真剣さみたいなものが、僕は品や品格と呼ばれるものの根っこのように感じています。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
それでも残せないものはたくさんあるし、目に見えないものすらたくさんあるのもまた事実です。

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