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「言わなきゃわからない」だけでは生きにくい

言わなきゃわからない。というのが年々その通りだと思う世の中になってきている。



いつもありがとうであるとか、ドキドキするとか、今のかっこいいね。とか、道や席を譲ってくれてありがとうだとか、いつもメッセージのやり取りしてくれてありがとうだとか、ポジティブなものは思っているだけでは相手に伝わっていないことが多い。



ポジティブなもの以外でも、それはやめた方がいいよ。とか次からはそうしないでね、そう言わないでね。といった忠告のようなものも、やはり言わなければ伝わらないものになっている。



じぶんの考えていることすらハッキリしないのに、他人の考えていることなど神様でもあるまいし、わかるはずがない。
だから言わなきゃ人には伝わらない。

ということらしいのだが、僕はどこかで、ほんの小さなどこかで、やっぱり言わないでも伝わる人を求めているような気がしている。



例えば誰とも会いたくない日。
言わなきゃわからない人には、誰とも会いたくないこと、一人で居たいこと、そっとしておいて欲しいことを、言わなきゃいけない、伝えなきゃいけない。

けどそんなことやっぱり言いにくいわけです。
なのでもしかしたら無理して笑っていたり、いつもより元気なさげなあの人は、あなたと一緒に今いますけど、もしかしたら今日はそっとしておいて欲しい日なのかもしれないですよ?

という可能性を、相手のことを想像する中から消さないであげて欲しい。


それがやさしさであり、言ったことはもちろん、言いにくいから言えないことの存在を無いことにしないで、相手のことを考え続けられる人。

それが言わなくても伝わる人なんじゃないかと僕は思うし、そういう人が近くにいると助かるし、僕もそうでありたいと思うのです。


だから言わなきゃわからないばっかりじゃ生きにくくなりやしませんかね?というお話しでした。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
言葉にならなかった思い、言えなかったこと、言わなかったことは、決して無いということではないのです。







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