幸せの正体
相手もいないけど、そろそろ結婚したいと仮に思ったとき、しないほうがいいのは結婚相手という人を探すことだ。
一緒にこの先の人生を共に歩みたいと思うから結婚なり、一緒に住んだりするわけで、それは結果で、そのような状態までの歩んできた道の、時間の、足跡を振り返ったときにそれらを結婚と名付けただけで、あの遠くに見えるものが結婚という光だから、わたしとあの光に向かって歩いていきましょう。
というものではない気がしているし、仮に歩いたとしてもその過程はどこか「今ここではない」ゴールや理想に向かっているだけにピリピリしていたり、緊張感が伴っていそうに感じてしまう。
今日を、今を楽しめなそうだ。
これは結婚だけに限った話しではなく、あの遠くに見える小さな光が欲しい、あそこにたどり着きたいと、目標や理想を高らかに掲げて歩く人はそれなりに、いる。
それはとても立派だし、目標から逆算したり、計画することによって精度も上がるだろう。
でも思う。
遠くの大きな目標にしていたものにたどり着いた人は、正確な逆算やその光までの道のりを耐え抜いた人なのではなく、今日を、今というその瞬間に散りばめられた小さなきらめきを、幸せを、日々の生活で実は叶っている小さな夢や欲望に気付けた人なのではないか、と。
それを積み重ねたり、歩みを続けたときに見える景色を、歩いてきた道を振り返って、人は結婚だとか幸せだとか成功と呼んでるんじゃなかろうか?
そうだとしたら今日の中にあるきらめきを見つけて、笑顔で、今日も密かに小さく叶っている願望に感謝して、身近な幸せに気付くこと。
幸せなことに気付く。
それが幸せなのではないでしょうか?
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
幸福度ランキングっていうのも、そういうことなのだと思います。
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