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わかってもらえてるといるということ

昨日眠るのが予定の時間より一時間ほど遅くなってしまった。


それは妻と今後どうやって生きていこうか?という話しをソフトにする時間となったからでした。



未定のことを人に話すのが苦手で、じぶんの頭の中だけで留めておいたことを昨晩は話したし、その話した内容のある程度の割合を妻も考えていたり、察知している部分もあって、お互い生活スタイルを変えるタイミングは今、近々なのだろうというところに落ち着いた。



一晩あけて月曜日。
妻と話しただけで、現実がどこか変わったか?と言われれば先週と何ら変化はない。


だが今日はいつもの気持ちの重さは和らいでいた。


話したからか。
もちろんそれもあると思う。


でも一番は、わかってもらえていると感じられたからだと思っている。


気持ちの重さは一人で悩み、一人で解決し、その解決や変化までの道のりの途中をパートナーは望んでいないだろう、という思い込みから来ていたものだった。


お互いの考えを話し合うことで、そういう思い込みはなくなり、お互いがご機嫌であれるためには、お互いが毎日を幸せに感じられるためには、どういう生活スタイルが望ましいのかというのを、お互い気にしているということがわかった。

その日々の微調整を、昨日のように今後も話し合うことで、暮らしやすくしていこうと思える夜時間でした。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
じぶんの頭の中の相手は、じぶんとそのときのじぶんの気分に由来しているので、大切なことは話したり、聞くって大切。



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