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じぶんを出せる場所

人は否定されたり、攻撃されたりする人の前や場所、環境で、じぶんの持っている意見や思いを表出させることは少ないように感じている。

それはもちろんじぶんの意見や思いが否定されたり、なきものにされんとするくらいの勢いで攻撃対象になるからだ。



毎日文章を書いている僕でも、世界中の隅々のみんなに届いて読んで欲しいとは実は思っていない。

noteというサービスや、noteを知るその周辺の方に偶然届けばいいと思っているし、そうでなければ続けられないとも思っている。

人は思っているより、否定的な意見や圧力は、アウトプットするエネルギー自体に影響を与えている。


ということは、アウトプットする場所はアウトプットする内容くらい、もしかしたらそれ以上重要ではないかと感じている。

そしてそれはこうとも言える。


あなたが気兼ねなく、意見や思いをアウトプットできているその場所は、あなたにとって安心できる人たち、場所、環境なのだと思う。

そしてそれが家庭なのか、会社なのか、友人関係なのか、飲み屋の仲間なのか、趣味を同じくする仲間なのか、それは人それぞれだろう。


だけど気兼ねなく、じぶんらしく過ごせる場所というのは、もしかしたら車や不動産のような資産よりもこの先貴重かもしれない。


人の真似はできないし、他人が居心地が良くてもあなたが居心地がいいとは限らないし、最初から居心地がいいとも限らない。

偶然の要素が多過ぎて、再現が難しく、時の流れの洗練をも受けている。


そういうものを小さく育んでいける人。
育んできたからこそ、話せることがある、話せる場所がある。

ということに、所有や地位など以上に、人々の意識や価値観が向いてくるのでは?とコロナになった今改めて強く思う。


安心してじぶんを出せる場所。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
安心するためには、安心してもらうってこと。



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