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安定しているとは何か

自分探しの旅というのは、非日常への入り口であり、非日常の中にこそ、ほんとうの自分は居るという仮説に基づいた動きのことを言う。




自分探しのそれは、すごくチャレンジングで、不確定性の中に入っていくところを見ていると、あたかも安定から不安定に飛び込む勢いを感じるが、ボクは自分探しとは反対だと思っている。



自分探しとは日常が安定していないということであり、その不安定性からの脱出、つまり安定を求める動きの側面を自分探しの中に見ることがある。




こうやって見ていくと、人は安定したく、また不安定を嫌うことがよくわかる。



分からないこと、グレーなこと、曖昧なこともまた不安定であり、だからこそ結論付けたり、ジャッジをして断定させたがることもまた不安定を安定にしたいという欲求の表れなのだろう。



しかし人の身体を見ると、安定を保つために刻々と変わり続けているのが実情で、食事や排泄、体温調節、神経系のスイッチングなども恒常性の維持、安定のために行われている。


それは言いかえれば、常に命とは不安定の中にいるということ。



だからこそボクらは安定を望み、不安定を嫌うが、不安定のまま存在することは命の営みに似ている。


もっと言えば不安定を安定させようとはするものの、安定を強く維持させようとしないから、ゆらゆら揺れてその間を行き来する。


不安定と安定を行き来する揺らぎこそが、ボクらの命のメカニズムであり、その命が維持されているということは、それこそがほんとうの意味の安定であり、そのコツは、安定に固執せず、不安定になることもその一部だと自覚することから始まる。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
常に刻々と変化を余儀なくされることが、生き物の宿命です。






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