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NOと言うこと

社会学に沈黙の螺旋という概念がある。




人が集団内で孤立を恐れ、空気(=意見風土)を読み、少数派は沈黙し、多数派が意見を表に出す。
そうすると更に多数派が多く、少数派が少ないように見え、少数派の沈黙は続き、多数派の声が大きくなる。



これが沈黙の螺旋というものらしいが、実社会のいろんな場面で起こっているのではと思ってしまう。


学校の文化祭や今日の晩御飯など比較的些細なものから、予算案や政治などの場面でも同じように見られるような気さえしてくる。



一つ二つなら構わないのかもしれないが、いくつも、何年も続くとこれは綻びが出てくるように思う。


なぜなら多数派がいつも正しいとは限らないから。




そしてこの沈黙の螺旋を見ててもわかる通り、NOを表明しなければ、YES、賛成多数派に空気感として組み込まれていく。


何より反対という思いがまるでなかったかのように、側からは見えてしまう怖さが横たわっている。



もちろん世の中の多くは調和の方が大切で、和を乱すリスクを取る必要がないことがほとんど。


しかしじぶんにとって、これは譲れんというものがある時、和を乱してもNOを表明すること。


そのNOによって、沈黙の螺旋を止めることができると言うこと。



それを忘れたくない。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
いつの世も反対派は居たんだと思います、ただ黙っていたから決まってしまった。

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