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かっこいい大人とは?

かっこいい。


みんなそれぞれの、様々なじぶんの、誰かのかっこいいがあると思う。




子ども時代の僕が思っていたかっこいいは、『困っている人を助けられる』のが、「大人」であり、「かっこいい」だった。

それは子どもの僕が誰のことも助けられず、不満や違和感を感じても何もろくに変えられず、助けられることがほとんどであったからだと思う。


でもそういう意味での「大人」は子どもの僕の目から見たら、「大人」がじぶんたちで言うほど、「大人」だらけではなかった気がしている。



そんなじぶんも「大人」と言われるものになって、「大人」の目から見た「かっこいい」ははたしてどんな姿だろう、と考えた日があった。


お金持ちなことだろうか?
有名なことだろうか?
鍛え上げた肉体だろうか?
着飾ったファッションだろうか?
都心の高層住宅に住んでいることだろうか?



これが意外と子どもの頃の「かっこいい」と大きく変化はしてなくて、『人に対する愛情が深い人』という答えだった。


人に対して愛情が深いとは、じぶんができることを「出し惜しみしない人」ということのように思う。


文章にはできる、言葉にもできる。
だが、できているか?と問われれば、それはむずかしい。


そういうことを小さく気にして、少しずつできていくことが増える。
みたいなことを、人は「大人」というのかもしれない。


昔思っていたかっこいい大人にじぶんは今なれているか?
大人になったじぶんが思うかっこいい大人ってどんな大人なのだろう?
そんな人に近付けているのか?


その理想像が子どもの頃のそれと変わっていなくても、変わっていても、きっとそれはどちらでもいいはずで、かっこいい大人がいたことを、いることを忘れさえしなければ、と思う。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
でも忘れるんでござるよ、これが。

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