人が安心するもの
人が安心すること。
それは多くの場合、その対象を知っているということ関係している。
では人への安心はと言うと、必ずしもその人を知っているということとは結び付かないと感じている。
知らないはずなのに、安心できる。なんてことはある気がするのです。
僕たちは何でその人を安心だと感じているのでしょう。
特に今のコロナ渦の中だとオンライン上で安心を。と考えたときに人が写真の次に見るところは、その人がどういう集団の中に属しているかということだ。
なぜそれがわかると安心するかというと、その集団の「文化」がその人を表していて、その集団がしたくないと思っていること、大切にしていることを共に享受できないものはその集団には属せない。
つまりその人のいる集団が、その集団の「文化」がその人を表していて、それが人がその人を知らないにも関わらず、安心できると思える要因なのだ。
ということは、どのような集団に身を置くかということがとても大切になってくる。
じぶんが大切に思うことは、守りたいものは、何か?
そういうものが集団として「文化」になっているところに出会えると、コロナ渦の後の世界では生きやすいのでは、ないのかなぁ?と思えています。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
よい「文化」にいると、いい人に思われやすくなって、いい人だと思われるといい人を演じるのが、人です。
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