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時間の基準

そそくさと街行く人が慌ただしい世の中になっている。


他者に対してこの人慌ただしいなぁと思うこともあれば、遅い人だなぁと感じることもある。


どちらも人それぞれだが、早いとか遅いには時間的な基準があるはずで、その基準はおそらくその人か、その人の周囲の環境によって決まっていて、時間の感じ方の基準に対する意識というものは人はほとんど持っていない。


そしてそもそも何を基準にすればいいのか?
何を基準にすれば人は心地よく暮らせるのか?



僕は子どもとお年寄りの時間の流れに合わせると、皆にとってトゲトゲしない時間になるのではないかと考えている。

ともすれば現代、どうしても子どもやお年寄りは多くの大人に遅い。とか早くして。と急かされている場面をよく見るが、僕は彼らが遅いのではなくて、急かしている人が急いでいるだけのように見える。

彼らはわざと遅くしているわけではないし、これ以上早くすることも難しそうである。

では急かしている大人は?と言うと、急かさないという選択肢も、もう少しゆっくり動くという選択肢も取ることができる。


合わせられる人間が合わせる。
合わせられない者に歩み寄りの姿勢のある街の方が僕は生きやすく感じてしまうが、みなさんはどうだろう?


じぶんがお年寄りになったときに遅い。と言われる世の中では世知辛くないだろうか?

子どもが遊んでいるだけで、うざがられたり、うるさいと言われる世の中は大人も暮らしにくそうじゃありませんか?



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
おばあちゃんが大学生の孫に話しかけているけど、孫は忙しそうにスルー気味にしているのを見た違和感が今日の文章のきっかけです。


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