見出し画像

やんわりさせておく

絶対そちらがいいよ。
こっち一択しょ?
それはしない方がいいよ。
これ以外しちゃダメ。
そのことに関しては私の前では話さないで。



人にとって「選ぶ」「決める」というのは、実は大きなストレスであるため、上のセリフのように決めてくれる人というのを有難いと感じる人は、実は多いのではないかと思っている。

その反面「決められる」ことに対して人はストレスを感じる生き物でもあるという矛盾がある。


なので僕はどうしたらいいですか?という人への答えは、出た案を肯定するか、二択なら「どっちでもいいんじゃない?」と返すことが多い。


決めて欲しい人からしたら、聞かなきゃよかった、というような答えだし、なげやりで興味がないように聞こえなくもない。


だがこれには理由がある。


人のすること、したいこと、思ったこと、考えたことに必要以上に介入し、その領域に踏み込み過ぎると人はその人に本音を話さなくなるような気がしているからだ。


例えば小学生の子どもが母親にじぶんの描いたマンガを見せて感想を聞きたくて話しかけた。

しかし母親は、マンガなんか書いてないで勉強しなさい。と言い放つとその子どもはマンガの感想はおろか、マンガを描いていることすら、母親には話さなくなる。という状態は想像できると思う。


これは子どもの望んだ回答でないのにプラスして、子どもの領域に踏み込み過ぎている。


そしてこれは親子でなくても起こることだし、人間関係の中で大人同士であったとしても、人はつい人の領域に踏み込み過ぎるということはやってしまうことだ。


なのでやんわりさせて、向きだけ一緒に決めたり、やりたいと思ったことを応援してあげられるくらいの軽さ、柔らかさが僕なんかはちょうどいいと思うし、そういう人に相談したいとも思う。


特に今現在の世相では身体も頭も固くなりがちなので、意識してやわらかく、軽さを持って人に接したいなぁと思う今日この頃です。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
まぁいいんじゃないと言ってくれる人って、実は実はそんなに多くなくて、あなたの親友は、あなたのことをまぁいいんじゃないと包んでくれる人だったりしませんか?





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?