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幸せだった昔

ドラえもんがいて、ジャイアン、しずかちゃん、スネ夫がいる現実というのは、実は植物状態の少年 野比のび太が見ていた夢であった。
病室に一人、横たわるのび太が映るラスト。
のび太は生きているが反応はない。


都市伝説的に語られるドラえもんの最終回のシナリオだ。
僕らがアニメを通じて見ていた世界は、皆が共有している一つの現実ではなく、ただ一人の人間が生み出したこういう世界であって欲しいという願望の世界だった、というところに言い知れぬもの悲しさを感じる。


ドラえもんと双璧をなす長期アニメにサザエさんというアニメがある。
磯野家の人々の日常をそれぞれの登場人物から見た視点でほのぼの描く日曜日夕方の定番アニメだが、僕はサザエさんはさきのドラえもんのようなもの悲しさを実は感じている。


僕たちがアニメとして見ている磯野家の日常は、磯野家の人たちの人生にとって最も幸せであたたかい時間だったのではないのか?
みんなが揃っていて、みんながお互いを思いやり、笑顔が絶えない奇跡のような時間。

だがそういう時間は幸か不幸か長くは続かない。

あの中の誰かが「幸せだった昔」として思い返している思い出を、僕らはアニメーションとして見ているのではないか?
と、どうしても昔から考えてしまうのだ。

のび太の病室の映像のように、老いたサザエさんが病室で、カツオが富と名誉を手に豪邸に住むも一人佇んでいる姿や、タラオが刑務所で掃除している映像などが浮かんでしまう。


幸せだった昔。


今あげた喩えは極端なものだけど、もしかしたらそんなところも相まって人々はサザエさんを毎週なんとなく見てしまっていたのかもしれない。

多くの人々の幸せだった瞬間は、磯野家の人たちのああいう些細な日常の中にあって、それを見て、特に高度経済成長の時期等は、人々は「幸せだった昔」に浸れる数少ない時間だったのかもしれない。


東京や大都市の物質的な豊かさと華やかさと寂しさ、コンプレックスだった育った地域の貧しさと変わらぬ街や大人への憤りと、そのあたたかさ。

そういうどちらがいいとはハッキリ言えないものをハッキリ言わずにぼんやりとアニメとして見る複雑な夕方を過ごしたが故に(そうか?)サザエさん症候群なる言葉も、あるのかもしれない。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
実は文章ってシメがとても難しくて、糸井重里さんの真似をして最後の一言付けたらシメに対する抵抗が減りました、文章書く方にオススメ。






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