自分の中に『主人公』はいるか?
主人公。
この言葉を耳にした時、多くの人は、小説や映画、舞台などの主人公のこと、あるいは自分自身が、一人一人が人生の主人公だ。
などという言い方をして、わたしそのものを指す言い方として使われているように思う。
しかし意外かもしれないが、主人公という言葉は、実は禅語で、禅語では主人公という言葉を、「自分のなかにいる本当の自分」というような意味で用いている。
中国の瑞巌和尚という僧が自分に対して声をかけて、自分で答えるという変わったことをしていたことが語源らしい。
わたしの人生の主人公は、わたし。
それはそうでしょ?
と、もちろん思うはずだ。
だが、時に人は、主人公を外部の人や関係性に委ねている時がある。
「◯◯のために」という時が生きていれば本当に何度も繰り返し訪れる。
もちろん誰かや何かのために生きる、行動できる、頼られる機会を得るというのは、本当に本当に素晴らしいことだし、人生の醍醐味と言っても過言ではない。
◯◯のために、仕方なくやっている、やらされているというなら、主体的でないなら、それは主人公のようで主人公ではないのかもしれない。
だが、◯◯のために、やりたくてやっている、この機会をいただいていることに感謝しながらやっている、というならそれはどんなことでも主人公なのだ。
やる内容やコト、大きさは関係なくて、主体的、主体性があるか、ないか。
選べているか、選べていないか。
つまり自分でやっていると感じるか、やらされていると感じるか、という違いが、自分が主人公で生きられるか、そうでないかの違いでしかないのだと思う。
何かに迷ったときに、ふと、主人公は誰か?
と自分の中の主人公に問いかけてみると良いのでは?
と思っている。
皆さま、良い日曜日を。
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