主人公として描かれない人
いつも物語に描かれるのは、克服したり、逆境を乗り越えたり、それらを最終的にものともしなかった人。
そういう人が描かれることが多い。
でもそれは頷ける。
自身の課題に向き合い続ける姿勢や胆力に尊敬や憧れが向けられ、じぶんもそうありたいという気持ちを掻き立てて明日へのエネルギーすらもそこから摂取できるくらいだ。
しかしそういう物語がもてはやされるということは、現実はそうではないということで、実際は克服できなかったり、いつも同じところでつまづいたり、ずっと臆病だったりしながら、それでも朝がやってきて、歳を重ねる人の方が多いのだろう。
そしてだからこそ冒頭のキャラクターや物語にやっぱり需要があるということになるが、時々思うことがある。
そんなに乗り越えることはすごくて、現状に留まりながら過ごすことはそうでもないのか?と。
最近ボクはそんなことはないと思っていて、悩みや生きにくさのようなものはどんな環境にいても携えているし、変われないことのモヤモヤ、そういう時のやり過ごし方、日常の中にきらめきや希望を見出すことも充分物語になると考えている。
キラキラしたものになれないけれど、確かにそこにある生活や暮らし、仕事、命。
そういうものへのフォーカスが与える力がある。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
生き延びるとは泥くさいこと。
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