これもあり、というコミュニケーション
人がルールを作るとき、そのルールは「禁止」を決めることから作られることがある。
もちろんおおらかに始まったものでも、始めてみたら様々なことが起こり、それらを一つずつ禁止にしていくと、昨今の公園のように、じゃあここで何するの?という場所が出来上がってしまう。
だからといって禁止しなければ、それこそ無法地帯になってしまうではないか。という板挟みの結果、禁止を元に場所が作られる。
でも僕は場所も、人間関係すらも、してはいけないことが多い関わりというのは、どこか息苦しと感じてしまう。
でもそんなとき、「禁止されていることはできない」ではなく、「禁止されていること以外はできる」と思ってみてはどうだろう?
そうすると様々なことができる、これもあり、あれもあり。という場所に様変わりしないだろうか?
気持ちがいい場所にするためにルールを変える、は難しい。
他者の思惑が介入するからだ。
でもその場所を気持ちいい場所に見えるように、じぶんの感じ方、捉え方を変える。
は、外部を変えるよりはできそうだ。
そしてその心で人とも接すれば、あれもこれもダメではなく、あれもこれもできるコミュニケーションになるので、お互い気持ちよく過ごせるのではないだろうか?
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
「禁止」も「〜しなさい」も強制されることというのは、本来人はイヤだと感じるものですよね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?