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人が人とケンカするとき

人と人が関わるとき、そこには小さな摩擦やいざこざはつきものだ。


回避したいし、無くしたいと思うのだけど、そうするのはなかなか難しい。

なぜならそういった不快感やケンカの多くは、「人に期待している」ことが発端で、他者の考えや動きは予測もコントロールも難しいけれど、コントロールできると思ってしまうし、人には期待してしまうものだからだ。


例えばトイレの蓋の上げ下げ問題でピリついているとする。
これは「使ったら下げておいて」と「使うときに下げて」の争いで、お互いが相手の行動に期待し合っているために、お互いが相手を動かそうとしているからこそ起こっているピリつきだ。

相手に動いて欲しい者、変わってほしい者同士がせめぎ合っているのだから、そのせめぎ合いは当然ピリつくはすだ。


この問題の解決は、「人に期待しない」で「じぶんでやる」ということにつきる。


そして「人に期待しない」の利点は、まさか手伝って(代わりにやって)くれると思っていないので、内容やクオリティ以上に、そうしてくれたことそのものが有難いということ。

人に期待しているとあら探しをする審査員になって減点方式で見てしまうのだが、期待していないと、いいところに目がいく加点方式になって、相手の行動、存在そのもの、そのすべてが有難いとすら感じる。


そしてこの話しはもちろんトイレの蓋の場合だけではない。
家庭や恋人、友人、親子、仕事関係、多くの場面で似たようなことが起こっているはずだ。


本来相手がしてくれること自体が有難いことなのに、そのタイミングや方法、順番などにケチをつけたり、相手の行動をコントロールしようとしていないだろうか?
お互い期待し、動かず、どちらが実際に手を動かすか、で揉めたりしていないだろうか?


関係性がどこかピリついているときは、じぶんは相手に何か期待していないか?相手はじぶんに何を期待しているのか?じぶんが今できることはないか?と考えてみよう。

そうすると相手はわからないが、じぶんは以前よりもイライラしたり、モヤモヤしたりは、しにくくなるはずだ。

お試しあれ。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
気分屋の上司の時代に、その上司を見て学んだことを書きました。






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