言葉と画像を探すということ

毎日noteを書くという習慣は、もちろん文章を毎日書くという行為だ。


文章は文章でなにものにも代えがたい時間なのだが、実は毎日noteをアップするという習慣の中で好きな時間に、書いた文章の内容に近い画像を探す時間が入っている。


例えば東京に住んでいると、「便利で静か」はなかなかなく、静けさや静寂は価値ではないか?
というnoteを昨日書いたのだが、このnoteのトップ画像を探すときに目指したのは、見た人が静寂を、そういえば静けさを味わったときの風景って、シチュエーションってこういう時だったかもしれない。と思える画像を探す、ということだった。


文章の内容を抽象的に要約したような画像を探す。
この作業も僕は好きだ。


この気持ち、言いたいことをピッタリの言葉を見つけたときのような喜びが、画像を探すという行為にはある。


一度言葉にして、その言葉の伝えたいことに近い画像を探すことで、書いた内容をじぶんでもう一度咀嚼することができる。


つまり文章と画像で一見違う工程のようだが、「今の気持ちをピッタリ表すものを見つける」という点では同じで、僕はもしかしたらそれが好きなのかもしれない。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
理論的な人に憧れるけど、僕は説明できない直感みたいなのも信じています。





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