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「何もしない時間」をもつこと

例えばスピッツの『ロビンソン』を聴きたいと思ったら、CDを探してプレイヤーに入れて聴いていた。

CDがなければ買いに行くか、借りに行ったりして、そのとき初めて『ロビンソン』という曲を聴くことができた。


『ONE PIECE』というマンガで、敵の親玉といよいよ決闘だ!!!となったときに、次の巻がなければ続きを知ることができず、やっぱりわざわざ買いに行ったり、借りに行ったりしなければならなかった。



これはラジオやテレビ番組、ドラマ、映画などほとんどのものに当てはまったが、今やその手間はなくなった。

そのおかげで、ステイホームを快適に過ごすことができているのだから、技術の進歩には頭が上がらない。



しかしそのおかげか、いつでも何にでも即アクセスできるためか、僕たちは常に何かをしていることが、望んだものを摂取している時間が増えた。


しかし四六時中、何かと常時接続し、摂取し続けるというのは、疲弊してはこないだろうか?


そして何より「あっ、いいこと考えた」という誰かを喜ばせる思いつきやじぶんをウキウキさせるひらめきって、実は無心なときや、寝る前、何もしていないときに起こることが多い気がしている。


なのでいつでも何にでも繋がれるからといって、ずっと繋がっているというのは、僕個人としては繋がり過ぎで、意図的に「何もしない」時間を持つことでバランスが取れるのでは?と感じている。


皆さんは、どうだろう?
ステイホームな昨今だからこそ、いつもより余計にそんなことを考えてしまう。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
毎日のnoteの内容は、お風呂、おトイレ、お散歩率が僕は高く、何かを摂取していないとき、インプットしていないときが多いです。


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