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分業による専門化の進みすぎ!?Bullshit Jobが蔓延する理由 その2

引き続き、「クソどうでも仕事:Bullshit Job」について考えます。なんでお前はクソどうでもいい仕事についてそんなに毎日クソ考えてるんだ!?という気もしますが、まあ、ただの好奇心です、お許しください。。。笑

Bullshit Jobが蔓延する理由:4つの仮説

先日、Bullshit Jobが蔓延する理由として、4つの仮説を考えました。

①個別の会社の間違った経営方針がBullshit Jobを生み出している

②間違った国や社会の制度がBullshit Jobを生み出している

③社会における認知の失敗がBullshit Jobを生み出している

④個々人の認知の失敗がBullshit Jobを生み出している

このうち、昨日は③について考え、「仕事は本来は豊かな社会を実現する為の手段のはずなのに、仕事をすること自体が尊いとみんな(社会)が信奉するがあまり、仕事をすることが目的になり、雇用創出自体が目的となって、いらない仕事=Bullshit Jobがたくさん作られてしまうんじゃないか?」ということを書きました。

ただし、これだと一つ問題があります。高学歴、高収入の人がBullshit Jobをしている割合が高い、ということの説明がつかないんです。

そこで今日は、それを説明可能にする仮説として「④個々人の認知の失敗がBullshit Jobを生み出している」を検討してみたいと思います。

分業と業務の細分化によって、仕事の意義が見えづらくなっている?

「④個々人の認知の失敗がBullshit Jobを生み出している」はどういうことかというと、本当は無意味な仕事なんてこの世に1つもないのに、個々人がそれを認識することができなくなっているのではないか?ということです。仕事の意義が見えづらくなっている。

その理由は、分業と、業務の細分化です。

18世紀にアダム・スミスが「国富論」において分業による生産性の劇的な向上を説明して以来、仕事は分業化が進んできたように思います。これは、各個人が特定の業務に特化することによって全体の生産性を高めることができる、というものだと思います。

たしかに、自分の得意な仕事をし、苦手な仕事は他の人に任せることによって、組織全体としては、その構成員がみんな得意な領域で力を発揮している状態を作ることができるので、組織としての生産性は高まると思います。

でも、分業が進みすぎると、各個人が、自分がやっている仕事が全体の中でどう役に立っているのかが見えなくなってくるという弊害がありそうです。

先日書いたBullshit Jobの記事に、高校の友達がくれたコメントがそれを表しているように思います。

「自分で仕事の意義を価値できないぐらい専門分化したり複雑化してしまったってことなのかねー」

意味のない仕事なんて1つもない!?職業に貴賤はない!

これが本当だとすると、一つの示唆があります。

それは、「本当は意味のない仕事なんて世の中にないんだけど、個々人がそれを認識しづらくなっているだけである」ということです。そう、職業に貴賤はなく、どの仕事も尊いんだけど、その意義が見えづらい仕事と見えやすい仕事がある、ということです。

Bullshit Jobの例として、「(ほとんど)誰も読まないレポートを書く」というのがあります。Bullshit Jobというコンセプトの提唱者であるDavid Graeberさんもいっています。皆さんも仕事で誰も読まないレポートを書いたこと、一回くらいあるんじゃないでしょうか?

例えば、だれも読まないプロジェクト報告書とかでしょうか。例えば、プロジェクトを受注して、その成果物が、「1.システム要件定義書 2.システムそのもの(コード) 3.プロジェクト実施完了報告書」みたいなものだった場合、報告書を書かない、という選択肢はありません。でもお客さんはぶっちゃけシステムがちゃんと動いてくれればいいので、報告書とかを綿密に読んだりはしないでしょう。

なので、この報告書の作成は「誰も読まないレポートを書く」に当たりそうです。

が、この報告書の作成はほんとーーーーーーに意味のないものなんでしょうか?

後日何らかの問題が発生したら、報告書を見直す必要があるかもしれません。何も問題が発生しなかったら一生お蔵入りだけど、問題が起きたら必要、とすれば、全体としてみれば必要な仕事だった、と考えることもできそうです。

高学歴、高収入がBullshit Jobについている割合が多い理由

さて、もし、分業や業務の細分化の行き過ぎがBullshit Jobを生み出しているなら、高学歴や高収入の人がこの手の仕事についている割合が多い理由が幾分かわかってきます。

まず、分業や業務の細分化が進んでいるのはヒエラルキー型の大組織に多いです。大企業とか、官僚組織とか。大企業とか官僚組織は、それなりに待遇も良いし、安定しています。なので、高学歴の人はそういう組織に入る傾向にある。そして高収入を得ている。

けど、業務はめちゃめちゃ細分化されているので、自分がやっている仕事がどう社会に貢献しているのかが見えない。

ということです。

逆に、小さい企業では業務が細分化されていません。僕も比較的小さい組織で働いていた時は、通訳から、営業から、人事から、記事の執筆から、プロジェクトマネジメントまで、何でもやっていました。笑 し、それは楽しかった。

専門化が必ずしも悪いわけではない

ただ、僕は分業や業務の細分化、専門化に必ずしも反対なわけではありません。

そういう業務をしてやりがいを感じられる人と感じられない人がいる、ということです。

「素数の並び順に規則性はあるか?」という問いに多くの人は社会的な意義を感じられないかもしれません。が、その問いに答えることに人生をささげている人は、その問いが世界に対して持つ意味を実感できている、ということだと思います。

なので、個人のレベルでは「意味や意義を感じられる仕事に就いた方がいいよね。そしてどういう仕事に意義を感じられるかは人それぞれだよね」ということになりそうです。当たり前か。w

本当に意味のない仕事はないのか?そんなにハッピーエンドでいいのか?

とすると、本当に「意味のない仕事なんて世の中にない!」んでしょうか?

「みんな!自分がやってる仕事が一見無意味に見えても、本当は世の中のどこかにつながってる!やりがいを持って働こう!」みたいなハッピーエンドな呼びかけで終わっていいんでしょうか?笑

だったら、Bullshit Jobの問題や、仕事のやりがいの問題がこんなに社会問題になってないはずではないでしょうか?もしすべての仕事に意義があるなら、そんなこと優秀な(高学歴で高収入な)人はとっくに気づいてるんじゃないでしょうか?

明日からは仮説の①と②、個々の会社の経営方針や国・社会の制度に焦点をあてて考えてみたいと思います。

仮説①:個別の会社の間違った経営方針がBullshit Jobを生み出している

仮説②:間違った国や社会の制度がBullshit Jobを生み出している

明日に続く

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