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【短編小説】フカヒレ論理ネス

読者モデルをやっている23歳のエリカは、親子ぐらい歳の離れた飯田と食事をしていた。

世間的にはパパ活と言われるような関係かもしれないが、エリカは自分のことを褒めて、好きだと言ってくれる飯田のことをいいなぁと想っている。そもそもエリカは好きじゃない人とは2人で食事をしない。

「このフカヒレの姿煮美味しい!」エリカは満面の笑みで言った。トロッとした程よい醤油ベースのあんが大きなフカヒレと絡み合う。


「美味しいね。」飯田は相槌を打つ。


「このフカヒレってお高いんでしょ?美味しいものは高い!?高いものは美味しい!?両方かな。」

エリカと飯田は高そうな恵比寿にある筑紫樓というフカヒレ料理が有名な中華料理店に来ている。

「『高いものはうまい』、『うまいものは高い』はそうかもしれないけど、フカヒレに関して言えば、高い理由は人件費だよ。フカヒレは、サメのヒレを煮込んで臭みを抜いて、干して、固い革を剥がして、もう1回臭みを抜いて、といった具合に食べるまでに工数がスゴくかかる。要は人件費の塊なんだよ。もちろん美味しいけど。」
飯田は得意げにフカヒレのコスト構造について語った。

エリカは違和感を覚えて言う。
「なんだか美味しいフカヒレを人件費っていっちゃうと味気ないなぁ。ムードがでないよぉ。もしかして私との食事代はお小遣い含めて高くつくけど、それも人件費と思っているの?」

少し間を置いた後、飯田は言った。
「も、もちろん、エリカと一緒にいると楽しいし、人件費なんて思っていないよ。楽しい時間はそれに見合った価値があって、価格がある。」

エリカは飯田の嘘に気がついた。その瞬間、フカヒレの味が消えた。屁理屈で冷やされたご飯は嘘によって旨味がとんだ。

食事の美味しさを決める要素は、価格でもないし、食材でもないし、メニューでもない。「誰と食べるか」によって決まる。

エリカはおいしい食事の正体を理解した。エリカはパパ活をやめた。


☆☆☆


エリカは、仕事終わりに一人で大衆店の中華料理屋にいた。
自分のお金で贅沢にフカヒレ餃子を食べた。

ハルサメのようなフカヒレが申し訳程度に入っている。

悔しいけど、飯田と食べた筑紫樓のフカヒレの方が美味しい。いつか自分の力で好きな人と食べる最高のフカヒレを想像していたら頬が濡れた。




あとがき

私はYoutubeで料理動画をよく見ます。

その中でも非常に印象的だったのが、こちらのフカヒレを作る動画です。

フカヒレの調理動画を見た時にその大変さから、フカヒレがなぜ高いのか納得しました。

そんな話をマメ知識的に話したところで「へー」と言われて終わっちゃいそうなので、小説の中にさり気なく忍び込ませようとして、この小説が出来上がりました。

また、論理的な話があう状況とあわない状況があります。食事中やデート中のような楽しい時間とロジカルさは相性が悪いです。にもかかわらず世の中の男性はやりがちだなぁと思い、自戒の念を込めて書いてみました。

この小説に込められた想いはそんなところです。

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