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【エッセイ】そのどんぶりには同僚の愛情がいっぱい詰まっていた

*このエッセイは2020年に天狼院書店HPに別名義で掲載されたものです。一部追記修正しています。

「おい、昼飯行くぞ」
 そう声をかけられて、私は慌てて財布を探す。同僚の2人はすでに先を歩いている。
「ちょっと待ってくださいよ」
 私は小走りで後を追いかける。行く先は決まっている、いつもの製麺所だ。
 それは3月のある日、年度末で慌ただしい時期だった。
 
 私が住んでいるところには、市民なら知らない人がいないくらい有名な製麺所があった。過去形なのは店主が高齢のために閉店してしまったからだ。製麺所の隣には小さなイート・インスペースがあり、いつも地元の人たちで賑わっていた。安い・早い・うまい。しかも朝6時30分から開いており、朝食としてうどんを食べてから出勤という人も珍しくなかった。
 
 16年前、私は4月から国の官公庁関係組織に2年間出向する予定になっていた。住んでいるところからは車で4〜5時間程度の場所だ。入庁して3年が経ち、出向にはまだ早いと思わなくはなかった。けれど、私は外の世界を見てみたかったし、今の職場とは違うことも学びたかった。そして、うまくいかない人間関係に疲れてもいたことも理由の一つであった。仕事は好きだったが、職場での人付き合い、プライベートでの人付き合いにかなり迷いが生じていたのだ。
 すでに同じ部署の同僚たちは私の出向を知っており、送別会などの準備をしてくれていた。
 
 3月のある日の昼休み、男性の同僚2人がランチに誘ってくれた。2人は私の8〜10歳程上で、いつも淡々としながらも精力的に仕事をしている人たちだった。同じ部署ではあったが係は違うため、一緒に仕事をするということはなかったが、部内最年少で危なっかしそうに仕事をする私を何かと気にかけてくれていた。
 
「今日は奢ってやるから」
 製麺所に着くなりそう言うと、同僚は私の分を注文し始めた。
「おばちゃん、蕎麦、うどん、きしめん、それぞれ半玉ずつね。俺は蕎麦とうどん1玉ずつ」
「はいよ」
 言うが早いか、おばちゃんは慣れた手つきで茹で始めた。手際よく盛り付ける。「はい」と言われて目の前に出されたどんぶりには、同僚が注文したとおり、蕎麦、うどん、きし麺、それぞれ半玉ずつが入っていた。
 
 この製麺所はそれぞれの麺単品の注文はもちろん、半玉ずつミックスもできた。今日はうどんも蕎麦もどちらも食べたいと思ったら両方とも食べられるのだ。お客はこれに玉子や天ぷらを好きなだけ乗せてお会計をする。常連レベルになると「いつもの」とおばちゃんに言うだけで注文できたくらいだ。
 
「多過ぎですよ、しかも何でうどんと蕎麦ときしめんのミックスなんですか」
 どんぶりを見ながら私がぼやくと、同僚たちは笑いながら、
「今日は特別やからな。それぐらい食えるさ。ちゃんと食べろよ」
と自分たちのどんぶりの麺をすすり始める。
 
 食べながら同僚たちは派遣先の職場や新しい住まいなどについて遠慮なしに質問してきた。
 その組織にこの街の市役所職員が派遣されるのは今回が初めてで、しかも女性職員が県外に行くことも初めてであり、私自身プレッシャーを少なからず感じていた。
「お前なら大丈夫やさ。どこでもやっていけそうやしな」
「結構図太いしな。でも関西の職員になめられんなよ」
 私の不安に気が付いていたのか、2人は励ましているのかけなしているのかよく分からないことを言い始めた。
 雑談が続く中、片方の同僚がボソッと言った。
「それ、俺らからの餞別やから、残さず食べろよ」
 その瞬間、私は自分の目が潤んできたのが分かったが、それを隠すように俯いてどんぶりを抱えて麺をすすった。
 
 地元から遠く離れた街の市役所に入庁し、初めての一人暮らしに四苦八苦し、なかなか周りと馴染めず、辞めようかと思ったことも何度もあった。失敗もたくさんし、同じ課の職員をはじめ多くの人たちに迷惑をかけた。今なら分かる。あの頃の私は、今以上に生意気だったと。何かに負けまいと虚勢を張り、自分で壁を作っていた。ただ、生意気なりにもがむしゃらに頑張ってはいたものの、空回りをし、落ち込み続けていたのだ。それでも真面目にはやり続け、3年目にしてようやく仕事が分かりだし、少しずつ歯車がうまくかみ合い始めた。
 目の前にいる同僚たちはずっと同じ部署だったので、私が他の人と対立したり、苦しんでいたことも知っていただろう。けれども変に慰めたり、励ましたりすることはなかった。ただ仕事のアドバイスをくれたり、声をかけて雑談してくれたり、時々ランチに誘ってくれた。彼らなりに気にかけてくれていたんだと今までのことを思い出して、私の目は益々潤んできてしまった。
「ミックス、うまいか?」
 同僚が私に聞く。私は口いっぱいにほおばっていたため、頷くことしかできなかった。
 
 あの頃、世界が終わるんじゃないかと思うくらい悩んでいた私と、今、辛くて苦しい思いをしている人に言いたい。孤独で誰も助けてくれないと思っていても、気にかけてくれている人は必ずいる。真面目にできることをコツコツやっていれば周りの人はちゃんと見ていてくれる。だから必要以上に落ち込まなくても大丈夫。きっと収まるべきところにうまく収まっていくから大丈夫。
 
 3年前、その時の同僚と久しぶりに同じ部署になった。歓迎会の時、製麺所の話をすると同僚は笑いながら言った。
「お前、あの時、うどん残してたよな」

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