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なかがき『人の不幸と好き』 著・戸松大河

 人は他人の不幸が好きである。

人は妬み僻み、できれば主導権を握ろうとする。

人は、どちらがかを決めようとする。

人は強がる。

人は承認を求める。

上記の事柄に皆様は共感されますでしょうか?

私は今日まで自身人生を生きてきて

人間の持ち味で特殊能力であると考えています

良く作用する場合もあれば
悪く作用する場合もある

しかしながら
私の経験上
上記の持ち味が薄い人ほど、

人から愛され、

地位や富や名声や人望

濃くある

感じています

なぜ芸能雑誌のフライデーは売れるのでしょう?
なぜ嫌いな人がミスをしたら叩かれるのでしょう?
なぜ嫌いな出た杭を打つのでしょう?
自由に生きている人の陰口と
粗探しをするのでしょう?

なぜ、
今日も集い、
つるんで、
人の悪口を人に伝えて
自身を正当化を好むのでしょう?

不幸 と 好き

話を飛ばします

ある一説

我々、人間
所謂、ホモサピエンス等の人種以外にも
昔は沢山の種族種類がいたそうです
その種族種類が生き残るために
混血しあって
殺めあって
今日の我々の種族種類が生存している
と言う一説を耳にしました

面白いのは
今日の我々の種族種類が生き残ったのには
ある特殊能力があるからだと言う

それは

『嘘がつける』と言う特殊能力

これがあるから相手を騙し勝ち残れたのだと言う

当事者からすれば
生き残るために
守るために等
正義がある

嘘はダメだ
と言う人が作った教育論もある

嘘がダメなら
なぜ法律で一切禁じないのだろうか
嘘は特殊能力
法律は人が作ったもの

法律は人を守るとされるが
縛るとも解釈される

ホントと嘘はなんなんだろう

最近すごく感じるのは

嘘は2パターンしかない

自分のための嘘

他人のための嘘

この2つからしか成り立たないのだ

そして


それは透けて見える時もある

よこしまなものと感じることもある

人が放った上記の特性を粗探しして
人前でそれを叱りつけ自身を正当化し
自身の主導権確立させる嘘をつく人もいるわけで

私の書く小説も
言ってしまえば
嘘なわけで

まだ
少し悲しい世界で
まだ少し優しさが足りない世界だと思うのです

しかしそれが

人間らしさ

言う解釈もあるわけです

私の経験上

亡くなった人が死ぬ前に言う言葉は

『もっと自分らしく生きればよかった。』
『もっと自由にやればよかった。』
『やりたいことをやればよかった。』
『世間体など気にしなければ…』

言う人がほとんどだった

これも嘘かも知れない

『あなたと言ったヴィーナスブリッジ』
ご一読ありがとうございます。

戸松大河

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