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<本誌編>産地 Farming Habitable Land について

先日出版した『HUMARIZINE No.01 産地 Farming Habitable Land』を、前編と後編にわけてざっくりと紹介します。後編では今号に収録されているテキストを簡単に紹介します。タイトル下に引用されている文章は、誌面に記載されている各人のテキストの紹介文です。また、その下に書かれている文章は、ぼくによる紹介文になります。なお、ZINE自体の説明やイベントの告知などは前編を確認してください!

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01.コンビニのアルバイトから考える—廃棄食品と循環、土と都市(れいぽん)

都市の食品廃棄の現状に疑問を持った私は、フィールドワークとしてコンビニで実際にアルバイトをはじめた。約10ヶ月のアルバイト及び各所のフィールドワークを通し、あらゆるステイクホルダーが複雑に絡み合った食品廃棄の実情と背景にある社会的構造を探っていった。仕事としてやらなければならないことと個人の意見の間にあるジレンマを考えながら、近代以降のシステムに生きる私たちはどうあるべきなのかを考えた。最終的には私自身ができる介入として、コンポストを用いたコンビニの新たな役割・ありうべき姿を提案した。(れいぽん)

まず最初にれいぽんによる実践が掲載されています。HUMARIZINEの発起人であるれいぽんが、卒業プロジェクトで行った制作を軸に、これからの都市のありうべき循環を提示します。1年前に発刊したNo.00では、日本におけるコンビニの食料廃棄について問題提起していました。その問題がこの1年で「土」による循環へと結びつき、その循環がコンビニを起点に都市に還元されていく様子が描かれています。

コンビニで実際に労働し、廃棄になった食品を堆肥化し、庭で野菜を育てるという循環を、自らの身体で実践してきたれいぽん。その制作の過程と、これからの展望についてが濃密に収められています。自分自身が廃棄を生み出す巨大な社会システムの一部となることで、その構造的問題をあぶり出し、自らの身体で応えるというれいぽんの姿勢は刺激的だと思います。


02.私的実験の場と学問的研究の場のあわいで(小梶直)

新たな領域であるフードエクスペリエンスデザインにおける試みをヨーロッパの事例を元に論じ、食とデザインの新たな可能性を提示する。それを踏まえ、本来的に食素材が持つ物性特徴を解き明かしていく学問的研究の場での「見立てと読みかえ」、そして、自らが行う私的実験の場 “Avant-garde Kitchen Lab” での実践を紹介していく。(小梶直)

2番目は、定量と定性の両軸からフードエクスペリエンスデザインの実践に取り組む小梶の論考です。食体験を味覚だけでなく、様々な感覚から捉えなおそうとする試行を垣間見ることができます。本人がAvant-garde Kitchen Labと称する制作では、伝統的な調理法を用いながら、視覚的に不思議な料理を生み出しています。そういった食文化の歴史的文脈に則りながら、消費的ではない、食のあり方を提示しています。

フードエクスペリエンスデザインはこれからもっと注目されてくる領域だと感じています。小梶も、高齢者や障がいを持つ人などが楽しめる、よりインクルーシブな食の未来についても文中で触れています。どのようにラボで研究をし、どのように社会で食を提供し、どのように自宅のキッチンで実験をするのか、小梶の幅広い試行と思索の全体像を知ることができます。


03.ブランドAyという実践の場で現地とともに「衣」を紡ぐ(村上采)

郷里群馬、アメリカ、コンゴでの経験を通して、筆者のテーマである「ともに考え、行動する」ことを思考する。その土地で生活を送り文化を理解した上で、人々と丁寧に協働し、地理を超えてブランドを展開する過程から、実践を考察する。現地とコミュニケーションを図ることは泥臭い。だが面白い。気がつけばいつも「衣」のそばにいた私が、コンゴでの服づくりという実践の中で得た経験と思考を踏まえ、今後は郷里の文化の継承を目指す。(村上采)

3番目には、村上によるファッションブランドでの実践が書かれています。群馬・アメリカ・コンゴというみっつの土地で生きた経験をもとに、現地の人々と協働しながら生産に取り組み、Ayというブランドを経営しているプロセスが描かれています。大陸、人種、伝統などの境界を、自分の身一つで乗り越えていく姿はとても逞しいです。

村上はつい先日、故郷である群馬の伊勢崎市の伝統的な絹織物「伊勢崎銘仙」を用いたパンツをリリースしました。ヴィンテージ生地を用いて生産されたシルクパンツです。ショップはこちら
その土地が抱えている課題や、すくい上げられていない魅力などを見つけると、自らの主体性を発揮してビジネスとして循環をつくる村上の勢いと、決して独りよがりにならず、現地の人々と協働するバランス感覚が長けているな、と思います。そんな村上の思考の変化の過程をよく知ることのできるテキストになっています。


04.災害都市と共に生きるための、未来の衣生活に関するデザインフィクション(佐野虎太郎)

本プロジェクトは、人新世において劇的に変化する人工都市環境を、戦術的な想像力を使って生き延びるための衣生活を思索するデザインフィクションである。近年、気候変動や感染症の蔓延により、都市部が極限環境へと変化し、人工環境が激変している。今後、グローバル化により自然災害・人的災害が増加し、これまで人間が築いてきた建築や都市が私たちに牙をむくことになるのではないかという仮説を本プロジェクトではベースとしている。
都市の再開発や高層マンションの建設、人口増加が進む中で、自然災害のリスクとどう付き合っていくか、市民主導によるボトムアップの対策を前提として、そこで生き抜くために必要であろう衣服の設計を通して未来の都市生活を思索することを目的とする。(佐野虎太郎)

「社会のなかで実践する」の最後には、佐野によるフィクションとファッションデザインの実践に関する論考が掲載されています。未来の都市空間を戦術的に生き抜く人々のための衣服が、その状況を記述したフィクションとともに示されています。気候変動とパンデミックという近年猛威をふるう2つの代表的な事象からつくられたフィクションと衣服をもって、未来についての議論の種が提供されています。

本テキストは佐野の卒業論文を下敷きに書かれているものなので、都市デザイン・ファッションデザイン・フィクション・デザインリサーチなどの勉強にもなります。とくに、フィクションのなかでどう都市が描かれてきたか、などは建築を学ぶぼくにとっても勉強になりました。

また、佐野はSynfluxというスペキュラティブファッションデザインとデザインリサーチの会社を経営しています。展覧会などに参加したり、HATRAと商品開発などをしています。佐野個人も、会社としてやっていることもおもしろく、かつ示唆的なプロジェクトばかりなので、注目してください。


05.インタビュー —アクティビズムから語る未来、そしてその可能性(藤原衣織)

2020 年5 月17 日、HUMARIZINE 編集チームはプラントベースド・クライメートアクティビストの藤原衣織さんにインタビューを行った。彼女は「Fridays For Future」という気候変動に対する行動を求めるムーブメントに昨年から参加、現在ではそのオーガナイザーとして活動している。彼女の行うアクティビズム的活動の観点から、私たちHUMARIZINE メンバーが日々行う実践・構想などの活動を省察し、今後ありうべき協働の可能性を模索した。(HUMARIZINE編集チーム)

Fridays For Futureという気候変動問題に対するアクティビズムを行っている藤原へのインタビューです。ぼく含め、寺内や佐野などもデザイナーとして、あるプロダクトやサービスを設計して、サステナビリティや循環の実現を目指していると言えます。アクティビストとは立場が違いながらも、危機的な惑星的課題に対して、ありうべき未来を目指すという目線は一致しているように思います。この両者が、立場を同じくするところと、そうではない点が、議論を通して明らかになっていきます。そこで現れたギャップをいかにつなぐことができるか、という課題は、今度も考えるべき重要な論点として示されたように思います。

藤原のインタビューでは、アクティビストとしての活動だけでなく、生い立ちから日常的生活まで、どのように意識や行動の変化が起こっていったのかを見ることができます。必ずしも一つの教条を押し付けるわけではない藤原のアクティビストとしての姿勢には、60年代の運動とは画すものがあると感じました。新しい啓蒙が埋め込まれているインタビューです。


06.祝島誌(村松摩柊)

2019年、山口県熊毛郡上関町祝島を訪れた。そこでの滞在経験を記述するとともに、自分の出身ではない地域に入るときの態度はいかなるものか考えた。島という小さな環境だからこその自然との循環やサービス以前の人との関わりのあり方、食、発電所をめぐる動き。この文章を記してから、私は一年間の祝島滞在へと向かおうと思う。(村松摩柊)

村松による離島のフィールドワークをもとに書かれた論考です。村松は今号の編集メンバーのひとりで、かつ、社会学を学ぶ唯一の非デザイン系の立場として各人のテキストの執筆をリードしてくれました。その村松は、山口県上関町にある祝島という小さな離島で、フィールドワークをしています。コロナウイルスの影響で延期となっていますが、1年間移住してのリサーチを計画しています。本テキストは、その1年間のリサーチへの布石として書かれたものです。

海によって隔てられている離島だからこそ行われている生活を注目し、自分が生まれ育った都市のシステムとの違いから思考をはじめています。(村松はいわゆるベッドタウンで生まれ育った。)それに加え、祝島の対岸には日本で唯一新たな原子力発電所が建設されようとしています。そういった状況下で、イデオロギーによって分断が生まれいく島民生活にも注目し、そこに対して大学生としてのアクションを模索しています。渡航が叶えば、次号にはその総まとめが記述されるでしょう。ぜひセットで読んでもらうためにも、まずは「祝島誌」に目を通してほしいです。


07.「感覚」をフィールドワークする—アバシリから二風谷の森、そしてアイヌの物語世界へ(石井正樹)

前へ前へと進もうとする現代社会。その大きな物語を前にして、小さな歴史、個々の記憶や経験としての物語がその下に埋れていく——こうした今日的状況において、いかにフィールドワークは可能で、意義あるものとなるのだろうか。この文書では、僕自身がアイヌについて勉強するために北海道をフィールドワークした経験を通じて浮かび上がったこの問いについて考えてみたいと思います。「アイヌ文化」や「アイヌ語」といった話からはちょっとズレてしまうので、興味がある方はぜひ現地に足を運んでみてください。きっと、皆さんそれぞれのフィールドワークの発見があると思います。(石井正樹)

こちらもフィールドワークに関連する論考です。石井はアイヌの口承文芸を中心に文化人類学の研究をしています。偶然にも、ぼくと同じ東京都狛江市在住で、共通の知り合いがいたところから、今年の春頃から仲良くなり、今回の執筆を依頼しました。石井は1年間北海道の二風谷という場所で滞在をし、その中で感覚が変化していく様子を語ります。そういった自らの身体をもって経験したことから導かれるグローバル資本主義への問いが展開されます。最近よく耳にする「多文化主義/多自然主義」などのワードも、文化人類学を学ぶ立場から説明がされ、理解することができます。

石井はアイヌ語を話すことができます。アイヌの人々がもつ感覚と近いものを、フィールドの中で自分の感覚として獲得していきました。そういったフィールドワーカーとしての姿勢から、ぼくたちが見習うべきものがあると思っています。

文章の内容とは関係ないですが、校了直前、数日に渡ってみんなの文章の校正を無償でしてくれました。今号が、読みやすく誤植のないものになっているのは、彼のおかげです。感謝しています。


08.廃棄/分解/制作(松岡大雅)

このテキストでは、ぼくが研究で扱っている「廃棄物を用いて建築をつくる」というテーマのうち、特におもしろいと感じている、廃棄物を用いた制作行為や廃棄物をとりまく問題について、4つの断片から取り上げる。修士論文は半年後に提出をむかえるため、リサーチ不足である。とはいえ、ぼくはそれなりに廃棄物に取り憑かれていることは事実である。ぼくが感じているこの面白さを、できる限り愉快に伝わるような文章を心がけていく。ところどころ疑義や欠陥もあるだろうが、そういったところはぜひ指摘願いたい。アドバイスや文献の紹介もありがたい。みなさんからの相互的なコミュニケーションを、今後の研究・実践活動に反映させていきたいと思っている。(松岡大雅)

論考と呼んでいいのかわからない、エッセイのようなテキストです。昨年の0号で書いた卒業プロジェクトのまとめから、1年の準備期間を経て、今まさに修士論文に取り組んでいる松岡の現状報告です。村松と同じく、次号にその集大成をお見せすることができるかと思います。

修士課程に進学し、廃棄物を中心にしたものの循環に、建築の立場からのアプローチする方法を模索しています。なぜ廃棄がおもしろいのか?なぜ分解がおもしろいのか?なぜ制作がおもしろいのか?そういったことに、断片的に答えています。そして、おもしろいだけでなく、ものの循環をつくりなおすことは、サステナビリティの観点からも非常に重要な実践です。そういった今後の社会をつくるための実践を見据えて、テキストは執筆されています。


09.産地Farming Habitable Landはいかにして可能か?―制作、物、世界をめぐる思想(林大地)

No.01 産地 Farming Habitable Land の書評及び総括として、れいぽんの高校時代からの友人である林大地にテキストを書いてもらった。林は社会思想史、特にハンナ・アーレントを中心に研究を行っている。HUMARIZINE で展開される実践や構想に対して、林はどのような論を導くのか。実践と構想、そしてそれに対する批評、このやりとりをもって、今後社会に影響していくであろう言説をつくり出していくことを目指したい。(HUMARIZINE編集チーム)

論考としては最後になる、林による批評文です。HUMARIZINEは、実践/構想に関する全てのテキストが出揃った段階で、社会思想などへの造詣が深い人に、その取り組み全体を批評してもらうことを行っています。林は、れいぽんの高校の同級生で、現在京都大学にて、ハンナ・アーレントを中心に社会思想について研究しています。

「産地 Farming Habitable Land」というまだ編集チームでも明確に説明することが難しい概念について、各論考と自分の研究領域を結びつけながら、評してくれました。とくに、アーレント、マルクス、ハイデガーという哲学者を適宜引用しながら、掲載されている各人の実践や構想を批評し、「産地」という一本の軸を見せてくれたように思います。難しいお願いにも関わらず、果敢に批評文を書いてくれ、それを読んだぼくたちが新たに学ぶという循環を生み出してくれました。1冊の中で批評によるループを経験することができ、このような構成にしてよかった、と制作者側も感動したテキストになっています。


10.おわりに「産地」とは何だったのか?(松岡大雅)

ぼくたちは編集を通じながら、半年にわたって「産地  Farming Habitable Land」を考えてきた。その最後にあたる「おわりに」では、編集長として伴走してきたぼくの視座から、各々の論考を繋げていきたいと思う。そして、「産地」とは何だったのか?という最後にして最大の問いに対して、繋がり合った各々の関係性の中に見ることのできる、ふたつの態度に帰結させたい。ぼくにとって「産地  Farming Habitable Land」を考えることは、この世界でどう生きるかを試行し思索することだった。その意味において、これは永遠かつ日常の問いであった。本文では、ひとまずの個人的な回答を提示することで、出版後のさらなる議論へと繋げられたらと願っている。(松岡大雅)

「おわりに」として、編集長であるぼくが、半年間このテーマを考えた中で見えてきた「産地」についてまとめています。ここでは「態度」としての「産地」という可能性について考え、これからHUMARIZINEとして、またひとりの実践者として、複雑な社会を生きるために必要なことを見出そうとしています。論理的文章として、その試みが達成されているかは不明ですが、各テキストと編集作業そのものからぼく自身が学んだことについて、鮮明に記述しています。ぜひ、読者のみなさんがどう思ったのか、ぼくとの差異を楽しみながら読んでいただけたらと思います。


最後に

ここまで、全員の文章を簡単に紹介しました。この紹介文たちは、極めて簡単に、かつぼくの私的見解でまとめられたものです。みんなが数千字(ときに一万数千字)というテキストを、数ヶ月かけて執筆しています。そして、そのテキストの背後にある活動には数年という期間(ときに人生)で取り組んでいます。ぜひとも、この紹介文を読んで、興味をもった論考などがあれば、ZINEを購入していただければ、と思います。よろしくお願いいたします。

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ここまでお読みいただきありがとうございました!
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