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【塾の効果が現れやすい科目】と【通塾率の低い秋田県の学力が高い理由】

今回は、塾の効果が出やすい科目と、通塾率が低くても国内トップレベルの学力を誇る県の教育について見ていこうと思う。

数学の学力向上に塾は有効

 少し古いが、関西都市圏を対象に行われた研究を紹介する。
 この研究は、小学5年生と中学2年生という受験を直近に控えていない学年を対象にし、国語と算数・数学の学力調査の結果をもとに、通塾生と非通塾生との学力の違いについて検討している。
 1989年と2001年に行われた調査結果を比較してわかったことを2つ示す。
 1つ目は、塾に通うことによる学力向上の程度は、国語・算数・数学の全てにおいて、小学生よりも中学生の方が高いことがわかった。特に中学生の数学においては、通塾生と非通塾生との間ではかなりの差があった。一方で、小学生の国語においてはその差があまりなかった。以上のことから、「通塾による学力向上は全ての科目で期待でき、特に数学でその効果が見られやすい」ということが言える。 
 2つ目は、1989年と2002年を比較した時、塾に通う生徒と通っていない生徒の間に生じる学力の差が拡大しているということ。それには「ゆとり教育」が関係していると思う。実質的に実施されたのは2002年からだが、学校環境が1970年代から徐々に「ゆとり教育」へと移行していった経緯をみれば、89年の小・中学生よりも2002年の同学年の方がより洗練された「ゆとり教育」受けている、ということが言えるだろう。よって、質の下がった学校の教育だけに頼っている非通塾生と、通塾によってそれを補っている生徒の間の差が拡大することは自然なことである。

学校の教育だけで学力向上は期待できるか

 塾に通った方が学力が上がることと、塾に通える子どもは家庭環境に恵まれていることに加えて、そもそも学習意欲が高いから学力がさらに伸びるということがわかった。
 ところが、上記との矛盾を見せる県も存在する。それは、全国トップレベルの学力を誇る秋田県である。
 実は、秋田県の通塾率は、全国ワースト1位なのだ。前回の記事(下に貼ってある)でも紹介した、全国学力テストの上位を占める都道府県は、東北や九州、山陰の地方が占めている。そして、それらの通塾率は、学力に反して全国ワースト10に入っていることが多い。そもそも、東京や大阪といった大都市に比べて、地方には塾が少ないから通塾率が低いという見方もできるのだが、それにしても通塾率ワーストで全国トップレベルの学力を常にキープしている秋田県の教育には興味を示さないわけにはいかない。

 ではなぜ、秋田県のような通塾率の低い地方が、高い学力を発揮できるのだろう。理由は単純で、学校教育がしっかりしていることに加えて、塾に通わずとも家庭で学習に取り組むことが当たり前になっているからである。それらについて簡単にではあるが、もう少し詳しくみていこう。
 まず、これらの県では、学校の校長・教員、保護者、市民など地域全体が教育の大切さをよく認識しているため、学校教育の充実のために制度上必要な経済的支援を行う風潮が強い。なので、私立よりも公立学校の方が数も多くなるし、質も高くなるのである。
 次に、生徒も保護者も学校の先生に対する信頼を、大都会よりも強く持っており、先生の教えに従順である傾向が高い。その要因に、塾の数の少なさがある。また、塾など外部で学力を補う環境が大都会に比べて乏しいことを先生たちもよく理解しており、その分を学校という公教育で満たしてあげようと、研修会などもを通じて熱心に研究するなど努力を重ねている。
 さらに家庭においても、親が熱心に子供に勉強を教えたり、子供が勉強に専念・集中できる環境づくりに努めている。ここにも、塾に学校外教育を任せきっている大都会との違いが見られる。また、地方には大都会のような、例えば早稲田や慶応といった有名私立大学は少ないため、国公立志向が強い傾向が、学校教育にも、家庭にも見られる。そして、国公立大学の試験は、私立と比べた時の単純な受験科目数の違いなどから、早いうちからの対策が必要だと認識をほぼ全ての教育者や保護者が持っている。こうして学校教育と家庭など環境そのものが勉強に熱心であることが、塾に通わなくても高い学力を保てる大きな要因であると考えられる。

教育には「機会の平等があるべき」

 しかし、そんな国内トップレベルの学力を誇る秋田県や北陸三県にも悩みはある。それは、大学進学時に地元を離れ、そのまま地元以外(主に大都会)に就職などで定住する若者が多いことだ。
 その原因は単純で、地方に比べて大都会にはレベルの高い大学や、高待遇であったり魅力的な会社が多く存在するので、若いうちだけでも大都会でチャレンジしたいという気持ちを持つ若者が多い、というが真っ先に考えられる。
 地方は地方なりの魅力があるし、社会人になっても地元から出たくない、あるいは地元に貢献したいとの思いから離れない若者もいるだろう。けれど、その数は出ていく数に比べて圧倒的に少数であることも確か。上記のようなことが地元から離れていく原因なのであれば、大学はともかく、魅力のある仕事を増やすことが、若者減少で悩んでいる地方には求められるだろう。
 ともあれ、これまで述べてきた塾や学校教育に関する事象は、大都会とは正反対である。大都会では、学校教育はあまり信頼されていない。だから塾の数も多いが、通っている割合も地方より多いのだ。
 加えて、大都会では貧富の格差が大きいので、塾に通えるのは経済的に豊かな家庭の子供だけといったことが起きている。また、都会の学校教育が先述した秋田県に比べると質が低いことは確かで、富裕層は塾に通うことによって学力を補えるが、貧困層はその質の低い教育しか受けられないということになる。したがって、貧困層の通塾しない子供の学力は低くならざるを得ないのだ。
 塾に通うことによって学力をプラスするのか、補うのかでは目的が違う。今でも十分な学力を、さらに高めたいというなら私的な資金で好きなようにすればいいと思うが、公教育では足りない学力を補うための通塾であるなら、公的に支援をするべきだと思う。なぜなら、「機会の格差」を生んでしまうからだ。
 塾に頼らない学校中心の教育には、全員の学力が高くなるという公平性があるが、塾中心の教育には経済的に恵まれているかそうでないかで学力格差の拡大といった問題が起きてしまう。もちろん、子供の元々の能力には違うがあるし、発達に難を抱えている子供などは一般的な教育とはまた違ったアプローチが必要になってくるかもしれないが、一般的に学力というのは、環境次第である程度は向上するとされているので、スタートライン、果てはゴールへのプロセスに公平性を持たせるためにも、公教育の改善がさらに必要になってくるだろう。
 

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