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「母性本能」という言葉で母親だけに育児を押し付けるのは良くないのかもしれない。

 「子供」と「大人」は、どこからが前者で、どこからが後者になるのか、皆さんは即答できるだろうか。
 二十歳を越えれば大人だ。あるいは、アルバイトを始めることができる高校生からは大人だ、とか、人によって、またその人の経験によって意見は分かれると思う。
 今を生きる僕たちは、区分けこそばらつきはあるがなんとなくで「子供」と「大人」という大まかな二種類の過程があると思っている。そこで、昔はどうだったのかを見て、「子供」について考えていこう。


「小さい大人」が存在した時代

 そもそも、昔に「子供」という存在はいなかった、という研究もある。
 人間が母親から産まれ、身体が小さい時期は時代を遡ることに意味がないほど当たり前にあるのだが、そういった小さな人間が現代のように「子供」としてみなされていたのかというと、必ずしもそうではない。
 中世の絵画には、子供たちが大人と同等に描かれていたそうだ。大人と同じ服(おそらく作業着)を着て、酒を飲み、恋愛をしている。 
 そのように描かれてた子供たちの年齢は、7歳ほどだという。その絵画を見るだけでも、当時の7歳は「小さな大人」として認識され、大人と同等に扱われていたということがわかるだろう。
 現代の7歳(小学校1年生くらいだろうか)の子供の中にも、ませた子供や、同級生と比較するとやや大人びた性格をしている子供は確かにいる。けれど、だからといって「大人」と同等に扱う、だなんてことは、現代の感覚ではまずあり得ないだろう。
 つまり、中世のヨーロッパでは「子供」が少しも特別な存在だと認識されていなかったのだ。その証拠に、フランスに小児科が誕生したのは1872年のこと。それまでは子供専門の医者すら存在していなかったのである。ちなみに日本に小児科が誕生したのは1958年に東京都立清瀬小児病院が、1965年に国立小児病院が設立された。
 

「親」が複数いた時代

 上記から、「子供」はいつの時代も特別扱いされていた訳ではないことがわかった。ついでに、母親が子供を育てる、という価値観も当たり前ではなかった(これについては下の記事を見てほしい)。

 なら、育児=女性の担当という価値観は、一体いつから始まったのか。
 明治時代は「親」は一人ではなく、たくさんいた方が子供にとっていいという考え方もあったそうだ。当時は衛生状態も悪く、まだまだ貧しい時代だった。だから、産みの親だけがその子供を育てるのではなく、「名付け親」や「仮の親」のような複数の親がいた方が、安心して育児ができるという感覚を持っている人が多かったらしい。
 その感覚が変わるのが大正時代。特に、第一次世界大戦後の好景気な日本では、多くの企業や銀行といった安定した収入源が誕生し、同時に今では社畜として揶揄されがちな「サラリーマン」という存在が生まれた。
 当時、「サラリーマン」は憧れの対象だった。なぜなら、農業や自営業が大半を占めていた時代に、常に安定した収入を確保することができるという魅力があったからだ。
 サラリーマンとして安定した収入を得ることができる男性が出現したことにより、「専業主婦」が生まれた。
 それまで夫婦間での所得格差などほぼなくて、二人であくせく働くことでようやく生活していけたのだが、男性一人の収入で家庭の生活が安定するのなら、女性は働かず男性を支える側に回ろう、といった考えが生まれたことが主な「専業主婦」誕生の理由だろう。
 そうして男性と女性の分担が始まった頃に、「母性」という言葉が用いられるようになった。大正時代から始まり、普及したのは昭和に入ってからのことである。とどのつまり、大正時代以前の日本は、育児=女性という価値観もなければ「母性」という言葉すら、知らなかったのだ。

 日本は第二次世界大戦で負けることになるから、もし第一次世界大戦でも負け、景気が悪いままだったら、高度経済成長期まで「専業主婦」もいなければ「母性」といった言葉を当たり前に使うこともなかったのだろうか(高度経済成長期がきていたかもわからないが)。もしそうなっていたら、女性が育児を担うといった感覚の歴史はかなり浅い、あるいは最近のような夫婦共同が当たり前という価値観が日本の育児の伝統になっていたのかもしれない。結果的には、すでに現代に「イクメン」という言葉が浸透し、それが良いこととされるくらいに男性の育児参加は当然といった風潮になりつつあるから、歴史は繰り返すんだなあ、と書いてて思った(笑)。

 


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