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「子供は大切にしなくてはいけない」という価値観は新しいのかもしれない

「母性愛」とは新しい概念である


 「母性本能」もしくは「母性」という言葉を、お母さんや女性に対して使ったことはないだろか。
 十分な睡眠が取れずに育児を頑張っているお母さんは、「母性ってすごい」と称賛されるだろう。その一方で、出産後する職場復帰し、ベビーシッターなどに子供を預けただけで「母性が足りないんじゃないか」との批判を受けるお母さんもいる。
 だけど、社会学者の中では「母性」とは時代や環境が生み出したものに過ぎないとの考えが多くを占めている。
 確かに、赤ちゃんを産んだお母さんなる存在が感じている、我が子への愛情は本物だろう。けれど、人類の歴史をさかのぼってみると、女性には備わっていると思われがちな「母性愛」と呼ばれるものは、時代や国によってまるで違う表れ方をしていることがわかるのだ。
 江戸時代までは、赤ちゃんを捨てることに抵抗がないお母さんが少なくないかず存在したことを、皆さんは知っているだろうか。
 そもそも「母性」や「母性愛」だなんて言葉は、大正時代までは存在すらしなかったのだ。
 さらに言えば、お母さんだけが育児の大半を担うだなんて風潮は、数十年前まではなかったのだ。
 また、専業主婦というのも、歴史的に見れば極めて新しい「女性の生き方」である。だから、言うことを聞かない子供に時々手をあげてしまいそうになったり、育児から解放されたいと強く思ったりしても、決して「母親失格」だなんてことはないのだ。子供を愛することが当たり前で、子供のためなら命をも差し出すといった感情は、歴史的に見れば、決して当たり前のものではないのだから、今育児に追われて精神的にも参っているお母さんは、自分を攻めすぎる必要はない。

捨て子が当たり前だった時代もある

 先ほども少し触れた、捨て子の話をしよう。
 古代や中世の日本では、子供を捨てるのが当たり前だった。「日本の伝統的な子育ては素晴らしい」とか、「昔の日本は人情に溢れていた」という人がいるが、それは歴史的資料を見る限り、全くの嘘だということがわかる。
 今から1000年前は、道に捨て子がいるだなんて光景、日常茶飯事だった。その子供たちがどうなったかとういと、歩けない子供は牛や馬に踏み潰されたり、犬に食べられてしまうといった悲惨な最後を迎えていたのだ。また、捨て子をした親を罰するといった法律も、その当時は存在していなかった。
 このように、日本は昔から子供が大切に扱われていたわけではないのだ。
 にわかには信じられないと思う人もいるだろう。それも、「母性」とやらの存在を信じているが故の疑いである可能性がある。確かに、僕たちは資料でしか当時の捨て子のことを知ることはできないが、日本では長い間、庶民たちの間で堕胎や捨て子は当たり前のことだったらしい。理由は単純で、多くの庶民は今では考えられないほどの劣悪な環境で暮らし、自分の命を明日に繋ぐことで必死だったから、子供を十分に養うことなど当然、できるはずがなかったのだ。
 また、10歳に満たない子供は労働力として売り買いの対象になっていた。売買された子供は、草刈りや運搬業などの重労働に従事する、貴重な労働力とされていたようだ。
 いくら時代が違うからって、ここまで子供に対する価値観が違うということに驚いたのではないだろうか。「子供が大切」という価値観は、歴史的に見ると少しも当たり前のことではない、ということをわかって頂けただろう。

 次回からは、さまざまな時代の「子供」「育児」の在り方について行こうと思う。そして、「母性」に全てを押しつけてしまっている現代の風潮を、見直す機会にして頂ければ幸いである。


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