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教員1年目のはなし

WBCすごく盛り上がってますね。去年の暮れにはワールドカップで熱狂しましたし、日本はやっぱりスポーツに熱狂する国なんだなと改めて思いますね。特に今回のWBCは過去最強チームです。テレビの前で応援したいと思います。大谷選手や佐々木選手がかなり注目されますが、大谷選手も佐々木選手も岩手県出身で、実は私と同郷なんです。本当に嬉しくなります。
今日は4年前を振り返って、教員1年目のはなしを書きたいと思います。

高校1年目に担当した野球応援


大学を卒業し、2018年から高校で教員生活をスタートさせました。最初の分掌は生徒指導課。1学年の副担任としてのスタートです。最初の着任の挨拶の時を今書きながら思い出しているのですが、社会についても何も知らない大学での若者だったなあと本当に思います。ただ一つ心に決めていたのは、技術や経験ではこの学校に貢献は出来ないけれど、自分にできることは生徒と仲良くして、寄り添うことが初任者として一番できることだと思い、生徒との対話、関わりを大切にしました。

初めての授業では、本当に何をしたらいいのか分からず、準備に戸惑っていた記憶があります。というのも、小学校が主免許で、教育実習も小学校と中学校でしか行ったことがなかったため、高校での授業はほどんど分からない状態でした。ただ、生徒にとっては同じ先生。時間をかけて初めてのレッスンを計画しました。

部活動は、まさかの専門外の空手道部。てっきり、ソフトテニス部だと思っていたので衝撃的でした。ただ、インターハイをはじめ、生徒と色々なところに旅をできたのは、いい思い出でもあります。

4月から働き始めて衝撃的だったのが、先生方が帰宅しない!4時45分が定時なのですが、あれ…?6時、7時になっても、一向に職員の数が減りません。7時を過ぎたあたりからようやく先生方の数が減り始め、9時まで残る先生方も平気でたくさんいました。当時最初の頃は、あまりやることがなかった私ですが、帰るに帰れず、授業プランなど、仕事を自分で作って、7時頃まで残っていました。今では、できるだけ定時で帰宅し、遅くても6時までには必ず帰るようになりましたが、最初はかなりびっくりしました。

進路会議も衝撃的でした。年に進路会議となるものが、数回、当時は5回くらい?もっとあったかな?あったのですが、ここでは、生徒の進路について3学年の担任団が全職員に対して提示して、後半の会議では、生徒全員の進路について全職員で話し合うといった会議がありました。自分が高校生の時にも先生方がこんな会議を開いていたと思うと、感謝しかないですね。

新採用として学校に赴任すると、指導教諭という教員がつきます。この英語の指導教諭がかなり個性的で、しんどかったですね。かなりご高齢の英語指導への価値観が違う先生で、なかなか思うように授業展開ができず苦労しました。でも周りの先生がその面ではかなり理解し、助けて下さり、救われた面も大きかったです。

教員1年目はまだ、コロナ前でしたので、全ての教育活動が制限なしで行えていました。まさか、この当たり前のことがこんなにも貴重なことになるなんて、想像もしていましせんでした。向かい合って楽しく食べるお弁当だったり、マスクなしでお互いの表情を見れることだったり、制限のない部活動だったり、当たり前で、青春に必要なことが、コロナによってなくなってしました。今年卒業した生徒は3年間ずっとマスク生活で、修学旅行にも行けず、かわいそうでした。ただ、その分、教師側も少しでも充実した高校時代を過ごしてもらいたいと、工夫を凝らしました。先生同士での飲み会もありました。

といった感じで何とか1年目は駆け抜けました。
次は、担任を任された教員生活2年目について書きます。


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