見出し画像

頼ってもいいんだよ。

よく動く若い人がいる。
とある会合の責任者であるが、時に1人で大変そうなその人に、私は声を掛ける。
「できることは言ってね。」
「あまり1人で抱えこまないでね。」と。

「ありがとうございます。」と微笑みながらも、その人は1人でササッとやってしまう。
オバサンのおっとり刀でも太刀打ちできそうにもない、その能力を羨ましく思いながらも、無理をしていないかちょっぴり気にしている。


ふと思った。実は私も人を頼るのは苦手な方だ。
これは結婚して18年間フルタイムで共働きしていたが、ほぼ"ワンオペ"で家事育児を回していたことからも明らかだろう。夫の帰宅は遅く実家は遠く高齢の義母には頼れない・・という諸事情によるものだったが「お願いしても無駄だ」とどこかで諦め不貞腐れてもいた。

しかし最近思うのは、身内以外の人に「助けて」「手伝って」と言わなかったのは私の選択だったということ。その状況は私が選んだことだったのだ。



実際、職場の友人に、子育て中の家事の補佐としてヘルパーさんを雇っていた人がいた。食材のミールキットの宅配を頼んでいた人もいた。当時は少なかったとはいえ、有料のサービスを頼むこともできたはずだが、それをしなかったのは私なのだ。他の選択肢を考えることもなく「できない自分が悪い」と自分を責め「手伝わない貴方が悪い」と夫を責めていたのは私だったのだ。(考える余裕すらなかったといえば、それまでなのだが…)

もっと素直に「助けて」「無理」「できない」と言えばよかったのかもしれない。1人で頑張るのではなく、家族が無理ならば他人の知恵を借りる、他人の手を借りる、手を借りることができるよう段取りをつけるとよかったのかもしれない。退職して12年が経ちようやくそのことに気がつくなんて、苦笑するばかりだ。もし生まれ変わることができるならば、次の世ではうまくできるだろう(笑)

私が、かの人のことが気になるのも、同類相憐れむ心境からかもしれない。素直に「手伝って」と言えるのも能力の内。令和の時代は風のように軽やかに、出来ることを出し合い補いつつ、みんなで前に進むのが合っているように思う。
そして”お節介オバサン”であろうとも、ひと度「HELP!」の声があればできる限り応じられるよう、私も常に気にかけておきたいと思う。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?