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楠神社と龍造寺八幡宮@佐賀市白山1丁目

今回は、佐賀市市民活動プラザの近くにある神社をご紹介します。
市民活動プラザには何度か佐賀戦国研究会の勉強会で伺ったことがあり、時間があればこちらの神社にお参りしています。

*位置関係はこんな感じです。佐賀駅から徒歩15分くらいの町中にあります。


まずは楠神社。楠木正成公をお祀りしています。


楠神社


義祭同盟之碑



※ところで【義祭同盟】とは?

義祭同盟とは弘道館の教諭であり、国学者であった枝吉神陽が1850年(嘉永3年)に設立した勤王結社。表向きは楠公父子像を祀る崇敬の集いでしたが、実際は尊王論を広げ天下国家の行く末を語りあう塾の趣を帯びていました。(略)初期メンバーには、副島種臣(枝吉神陽の実弟/筆者注)、島義勇、大木喬任らの名前があり、後に江藤新平や大隈重信らも参加しています。

(佐賀市観光協会HPより引用)


*江藤新平と大隈重信については以下のnoteもご参照ください。


そして、お隣にあるのが龍造寺八幡宮。
(いや、私が市民プラザの提携駐車場からお参りに伺うと楠神社が先にありますが、むしろ龍造寺八幡宮の敷地内に楠神社があるという位置関係らしい・・。)


龍造寺八幡宮


立派な肥前鳥居


こちらの肥前鳥居は慶長九年(1604)佐賀藩祖鍋島直茂の正室、陽泰院(北方藤女)が奉献したもので、佐賀市の重要文化財に指定されています。

ところで「肥前鳥居」とは?
私は肥前一帯にある”ずんぐりした形の継ぎのある石の鳥居”と漠然とイメージしていましたが・・。

肥前鳥居は、室町時代の末期から江戸時代初期にかけて多く造られた。その特色としては、笠木と島木が一体化していて、木鼻が流線形にのびている。笠木・島木・貫・柱の各部分が継材となっていて、原則的には、各部分が3本継ぎになっている。柱の下部に亀腹を設けず、柱の下部を削り出して、生け込みになっている。柱の上部には、台輪をつけ楔を設けないなどがあげられる。

(さがの歴史・文化お宝帳HP「諸富町肥前鳥居一基」より一部抜粋引用)


*鳥居の各部名称(Wikipediaより)

なるほど、こういう特徴があるのですね。


御祭神は応神天皇(誉田別命/ほむだわけのみこと)。文治三年(1187)龍造寺家の始祖南次郎季家が鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請してお祀りしたそうです。慶長年間に佐賀城内から現在地に移されたとか。
現在の境内地にはかつて長崎街道が通っていたようですね。



拝殿


こちらも平地の町中にある神社で、現在は安産、初宮、七五三など子どもの成長を見守る神、厄除・家内安全・商売繁盛・交通安全の神として崇敬されているそうです。佐賀藩の基礎を作った龍造寺氏の守り神が、現在では佐賀市民の守り神となっているのですね。

私は拝殿にお参りして”お清め塩”を分けていただくことが多いです。
市民活動プラザに行くときはまたお参りに伺いたいと思います。


では、最後までお読みいただきましてありがとうございました。



*記事中の写真は数回に分けて撮影したものです。ご了承ください。

*この記事は以下のサイトを参考にさせていただきました。


*佐賀市市民活動プラザのHPはこちら。





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