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【閑話】空間芸術としての批評

 福田は空間的な文学の創造を目指していた。何かの座談会でそのようなことを言っていたのを読んだ記憶があるし、初期の福田の文章には「造型」という言葉がしばしば出てくる。

実際に福田の文章を読んでいると、文章構成の巧みさに感心する。福田は原稿用紙に手書きで書いていたに違いないが、一つの文章を書き上げていく過程が一体どのようなものであったのか、願わくば私は、その様子を覗いてみたい。

一気呵成に書き上げていたのだろうか、それとも緻密に計算して何度も推敲していたのだろうか、想像は尽きない。いずれにせよ、福田の書く文章は建造物のように感じることがある。

たとえば美術館に行くようなものだ。入口から入って、チケットを買い、ロビーを抜ける。ある絵画を観て、次に他の絵画を観て、しばらくして階段をのぼり、二階の部屋で彫刻を観る。その後、大きな窓から外を見ると、きれいな庭園が見える。それで満足して建物を出て帰路につくと、その時、ロビーでの高揚感と、それぞれの部屋で観た作品と、最後の庭園が、共時的に思い起こされるような、そんな文章体験なのである。


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