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勤労10周年のエッセイ

大学を卒業して社会人になって、10年が経った。現在、32歳。この十年間、毎日健康に、楽しく働けたことに感謝したい。お母さん、健康な身体に産んで、育ててくれてありがとう。お父さん、好きな勉強を、好きなだけさせてくれてありがとう。

勤労10周年ということで、いくつか数字を数えてみたい。3つの国、6つの会社で働いた。東京が3社、タイが2社、フィンランドが1社。いちばん長いのは今のフィンランドの会社で、そろそろ丸4年になる。正社員契約が4つ、パートタイムが1つ、フリーランス契約が1つ。組織変更や買収で、途中で会社名が変わった会社が2つある。タイの最初の会社と、いま勤めているフィンランドの会社だ。

時期を大まかに分けてみると、2014年から2016年は新卒で入社した、東京の会社。2016年から2019年まではタイの会社に勤めながら、日本の会社でも2021年ごろまで、リモートでパートタイムとフリーランスの仕事をした。その間、2020年にフィンランドの会社に入社している。

東京とバンコク、ヘルシンキ。この3つの都市は大きく違う。働き方はもちろん、言語もアルファベットも、気候も、文化も、社会制度も、法律も違う。これらの全然違う都市で、いずれもローカル企業で現地採用として働くことができたのは、とても幸運だった。新しい環境では、いずれもこれまでの人生で得た知識や観念を一般化するのではなく、場所に特有の経験と慣習を学び直して、適応することが必要だった。これは僕が得意とすることだと思うし、その特技を活かして仕事をして、楽しく生活しているような気がする。

2014年に東京の会社に新卒入社した頃、世間にはまだ「働き方改革」という言葉すらなかった。始業時間前に出社して、先輩の机を拭いて回った。昼休みには郵便物の仕分けをして、各階に配る。もちろんそれらの雑務に残業代はなく、というか、普通に夜遅くまで残業しても、残業代は出なかった。そういう働き方が、当たり前だと思っていたのである。いま勤めているフィンランドの会社では、意識が全く違うことは、説明するまでもないだろう。フィンランド流の働き方が完璧だとはまったく思わないけれど、フィンランドの愚痴を言ったところで誰も興味がないと思うので、黙っている。これからも黙り続けるだろう。

黙り続ける。たぶんこれからも、僕は多くのことについて黙り続けるだろう。ユニークな人生を生きるというのは、同じような経験をしている人間がいないということであり、僕の人生とそこから生じてくる価値観は、結局のところ、僕自身にしか理解できない。それでハッピーなのだから、仕方がない。

最後に、これからの人生、次の10年について。人と働くことが大好きだから、会社員でもフリーランスでも、もし起業しても、人と関わり続けていきたい。もっとインターネットとコンピューターのことに詳しくなって、人の役に立ちたい。おわり。

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