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転職活動で祈られすぎて、「神」になったヤツがいる。それは私だ。


かつてこの国の転職には、30歳限界説と35歳限界説があった。

30歳を境に未経験の職種や業界への転職が難しくなり、35歳を境に同業界での転職が厳しくなるという説である。(過去の話ではなく現在進行形の話かもしれない)

私が30代だった当時、そんな話がネットや雑誌などでしばしば語られていた。29歳や34歳あたりのギリギリラインにいる社会人たちは、焦燥感に苛まれて必死に履歴書を書きまくっていた。キャリアアップや報酬アップなどの呪文をブツブツ唱えながら条件の良い求人情報を果てしなく追い求めていた。

ああ、そうさ。例外なく、自分もその一人だったんだよ。


「貴殿の今後のご活躍をお祈り申し上げます」


30代の頃の私はよく祈られた。神様や仏様や教祖様でもないただのおっさんなのに。紙切れ一枚の手紙や3行くらいのメールで一方的に祈られた。担当者は絶対に祈ってない。「お前はいらねえって書くと角が立つからコピペした文章を貼り付けただけやろ!お世話になっていないのに、お世話になっておりますと書くのと同じことや」などと口を尖らしていた情けない男である。

あと一歩で採用だったのに。こんなにも気合を入れていたのに。面接でいい感じだったのに。何度も何度も祈られていくうちに、“祈られ耐性”がついていった。「祈られてこそ一人前」「祈られて人は強くなる」などとわけのわからない根性論や哲学的思考に陥ったこともあった。「こんなに祈りを集めるなんて俺は神様やな」なんていう寒いギャグを半笑いで口走って、嫁からなんともいえない悲しそうな顔をされた日もあった。

思い出したら切なくなる。泣きたくなる。今だからこそ、こうやってネタにしてるけど、当時は祈られるたびに心折られて半泣きになった。布団で寝付けなかった。お先が真っ暗に見えた。ほら、字面がそっくりじゃないですか。転職活動において「祈られること」は「折られること」でもあるのだ。ははは。はあ。

お、お、お、お、おいらは・・・、もっとええ会社に入って、もっとええ仕事をするんやあっ!!!! そんなふうに鼻息荒く職務経歴書やポートフォリオなどを作っていた。しかし、報われない。思い通りにはいかない。世の中甘くない。マウントレーニア カフェラッテ ノンシュガーは甘くない。未来がわからない。宗谷岬は稚内。

空回りばかりで結果が出ず年齢だけを重ねていく日々。35歳限界説で語られるボーダーライン35歳を過ぎてからも諦めずに果敢に戦場に繰り出していったが、毎回のように撃ち殺され、そのたびに敵兵たちはわが死体に向かって祈りを捧げていた。まあ、難度の高い強敵にばかり立ち向かっていたっていう部分も少なからずあるんだけどね。

思い出す。当時焦っていた自分に外資系企業転職の個人エージェントみたいな人から連絡があった。一度カフェで会って「tagoさんなら大丈夫でしょう。これから一緒に頑張りましょう」とか言ってくれていたのに、紹介された企業で落選したら一切連絡がこなくなった。見捨てられたような気分になったよ、マジで。

思い出す。すごく入社したい人気企業があって書類選考に通って面接を数日後に控えたある日、家族が体調を崩して救急車で運ばれた。病院に行ったり来たりを繰り返した。嵐のような日々の中、その面接には何とか出席することができたが、ほとんど寝ていない状態だった。後日、担当者からメールが来た。冷たくて短いお祈りメールだった。

思い出す。30代も終わりに差し掛かった頃、一度路線を変更して畑違いの某企業を受けたら採用された。入社したが企業風土があまりにも自分に合わなくてすぐに辞めた。1年もいなかった。人との良い出会いもあったが、その転職は失敗だったと認めざるを得ない。

そんな感じで40歳くらいまで戦い続けたけれど、結局思うようにはいかなかった。

あの日の私は、絶望の中、アメリカを思った。アメリカが羨ましかった。履歴書に年齢や性別を書く欄がないアメリカ。年齢限界説がないアメリカ。多様性国家アメリカ。アメリカンドリームのアメリカ。自由の国アメリカ。かっこつけてアメリカの話を強引に入れてみたけれど、実際のところ転職活動でアメリカを思ったことなど一度もない。ただ、この悲壮感あふれる文章に変化がほしかっただけ。作り話や。アメリカの話は忘れてくれ。




自分は転職で失敗・挫折した人間だ。

今思えば、「理想の会社」という、あるのかないのかわからない曖昧な存在に自分の運命を乗っけようとしすぎていた。採用担当者に見透かされていたのかもしれない。実力がなければポテンシャルも感じられない、他力本願の甘い思考を持った者などお呼びではないのである。

うまくいく人は全てうまくいく。うまくいかない人は全てうまくいかない。

それが転職活動の法則であり、人生の法則でもある。そもそも優秀な人は転職活動しなくても友人から誘われたりスカウトされたりするのでスタートラインが違う。強者は弱者と同じ土俵に立たないのだ。何だと!?

さらにいえば、優秀な人は書類の作り方や面接での立ち振る舞いから“違い”が出ている。履歴書の写真のうつり方ですら表情の輝きが違う気がする。これは、以前自分が書類選考する企業側だった時に如実に感じた。学生の就職活動でも内定を獲る人は一人で複数獲る。獲れない人はことごとく採用されない。努力のやり方が間違えているのか、外見にネガティブな雰囲気が漂っているのかわからないが、残酷すぎる圧倒的格差だ。くそっ。

長い長い旅路の果て、最後に残るのは、返送されてきた履歴書と職務経歴書とお祈りの手紙と枯れた涙の跡である。慣れない背広を身にまとい、遠い目で沈みゆく夕日を見つめる、追い詰められた40手前のおっさん。どこからか吹いてくる湿った風。ぴょんと飛び出した白髪。もの寂しい背中。漂う哀愁。ああ、強者どもが夢の跡。書いていてだんだん腹立ってきた。あの、もう書くのやめていいですか。


転職活動という名の天下分け目の戦いで破れ去った私は、敗者として新しい時代を迎えることになる。開き直り時代の幕開けだ。

目が覚めた。これまで何らかの固定観念に囚われすぎて思考の自由を奪われ、本質が見えていなかった。自分はきっと根本的な何かがズレていたのだ。転職ってどうしても“入社そのもの”が目的になりがちなんだよね。

私は独立して個人事務所を開業することにした。いわゆるフリーランスである。早いもので今年で独立5年目。今でも不安が山積みだが、それなりに幸せだ。

祈られ続けた結果として今の自分がある。会社員の時なら到底できなかったような仕事もやらせていただいているし、個人でやっているからこそ起こる素敵な出会いもある。このnoteだって独立していなければ始めていなかったかもしれない。あの頃とは違って、自分で自分の人生をコントロールしている感覚がある。全てを自分で決めているから納得感がある。

転職活動していた頃は業界で評価の高い企業の看板がほしかった。あの頃の自分は「優良な組織の一員じゃない = 死」くらいの大袈裟なことを思っていたけれど、それは完全なる視野狭窄・思い込みだった。転職と対峙していたあの必死な自分はもう完全にどこかに消え失せてしまった。

自分の名前が看板。今はそう思って生きている。

私は転職活動で負けた。大負けした。負けたって人生は続く。もし今のあなたがかつての自分と同じように転職活動でくすぶって追い詰められているのなら、「多くの祈りを集めて神になったtago」のことを思い出してほしい。そして少しでも気持ちがラクになってくれたら嬉しい。



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