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『ちいさな異邦人』あとがき


誰ですか。noteのタイムラインをスクロールしていると突如現れる、この黒いヴェールを纏った目力の強い若い女は? 

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これは先日公開した短編小説「ちいさな異邦人」のカバー画像のために自ら描いた絵だ。procreateでヘタクソなりに時間をかけて完成させた。

彼女はこの小説の主人公であるカエデの26歳の姿である。その眼差しにはどこか強い意思が感じられ、何かを訴えかけようとしているように見えてこないだろうか。

そう、彼女はあなたに向かってメッセージを発信している。おそらく、「あなたはきっとこの小説を読むのよ。読まないなんて選択肢はないわ」と言っているような、そんな気がしてならない。

しょっぱなからとっておきの裏話を書いてしまった。どうしよう。書くネタがなくなった。これまで小説にあとがきを書いたことがほぼなくて。一昨年にnoteで公開した短編小説「漂流」で一度トライしたきり書いていない。「漂流」は文庫本が世界を旅するという新しい試みに挑んだ意欲作だ。あとがきを書いた影響があったのかは定かではないが、この「漂流」は多くの方から反響があり、公式の小説記事まとめにも入れていただいた。(入れてくれた方ありがとうございます)

「ちいさな異邦人」の舞台となるモロッコは、北アフリカに位置し、地中海と大西洋に面したイスラム教の国だ。そしてtagoが初めて海を渡って訪れた国でもある。自分はまだ19の若者だった。航空チケットだけを手配し、友人と二人でバックパックを背負って約3週間の旅をした。あの日あの時自分が体験した記憶を手掛かりにこの小説は書かれている。なので、描かれる光景は限りなく生に近いものだ。そこは強調しておきたい。

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名曲「異邦人」

「異邦人」といえば、久保田早紀(作詞作曲)である。1979年にリリースされた曲で、時代を超えて今もなお人々に愛されている。この名曲の魅力に取り憑かれたアーティストも多く、中森明菜、坂井泉水、EGO-WRAPPIN'、昨年にはエレカシの宮本浩次がカバーした。

この曲を聴くと一瞬にして、イスラムの迷宮にトリップする。溢れる光と色彩。市場の雑踏と喧騒。さらさらとした砂の感触。ミントティーの香り。五感が刺激され、モロッコを放浪した懐かしい時間がよみがえってくる。

この曲のように、読み手を一気に物語の世界に放り込むような小説を書けないだろうか。そこが出発点だった。書き始めたのは半年以上前だ。列車や飛行機ではなく自らの足で時間をかけて旅をするような、そんな書き方だった。一気に2000字書いた日があれば二行だけ書いて終わった日もある。

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文字数と構成について

文字数は17000字まで到達した。自分がこれまで書いた短編小説の中では最長だ。これだけの量だと読むのに時間もかかるので、敬遠される方も途中離脱される方もいたかもしれない。この拙い作品を最後まで読んでいただいた方には感謝したい。

小説を書く上で、文字数が増えれば増えるほど、話の本筋から外れる部分を膨らませたり、描写を細やかにするなどの作業が必要になってくる。その肉付けする力を、そのまま“肉付け力”と勝手に呼んでいるが、自分はその力がまだまだ弱い。noteには50000字以上を書ける人がわんさかいて、その文字数を飽きずにしっかり書き切る心のスタミナには頭が下がる。

これだけの文字数だと執筆途中で迷子になりそうなので、事前に全体のストーリー構成を緻密に組み立てた。こういった旅小説の場合、最初にしっかり構成を練っておかないと「旅に行きました。素敵な景色をみました。感動しました」だけで終わってしまう。展開が単調にならないように、読み手が世界観に入り込めるように、自分なりの工夫を重ねた。

先に構成を作ることによる副作用もある。先が見えているので書き手自身の楽しみもちょっと減ってしまう。小説は書き始めると、主人公が自らの意思を持って動いているような錯覚に陥ることがある。主人公に書かされているような感覚だ。でもそれによってストーリーが思いもよらぬ展開になることもあるのでエキサイティングだったりする。

「夢オチ」という言葉がある。物語が最終的には夢だったという使い古された手法だが、ここではっきり言っておきたい。この作品は夢オチを想定して書かれていない。夢なのか、現実なのか、タイムスリップなのか、解釈はいろいろできるけれど、それは読み手に委ねている。敢えて名前をつけるなら「マルチエンディング」だ。んー、なんかゲームみたい。ま、いいか。

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砂漠の薔薇

物語終盤で「砂漠の薔薇」が登場する。これは砂漠に咲く花ではない。バラの花のような見た目の石である。別名デザートローズ。かっこつけて言って見たけど、ただ英語にしただけである。

tagoはモロッコに行った時、この不思議な石をアトラス山脈の土産物屋で一つ買った。いろいろな形があった中で一番見た目が薔薇に近いものを選んだ。今もまだ大阪の実家にあると思う。

主人公のカエデは父の別れ際に、思い出の品として砂漠の薔薇をもらう。でも日本に戻ってきた時、もらったはずのそれが消えてしまう。そのシーンについて、読んでいただいた方から「なぜ消えてしまったのか」という質問をいただいた。tagoはこう答えた。カエデを父から一気に突き放すことで心の余韻を強調したかったと。物的な証を取っ払うことで、自分だけしか分かり得ない記憶の脆さや頼りなさを表現したかった。

その方から、「砂漠の薔薇」には石言葉があることを教えてもらった。再生、愛情、知性、冷静。そのどれもが、物語に違和感なく溶け込む言葉だったので驚いた。さらにググってみたら「心から望んだ願いを叶えてくれるパワーストーン」とあった。執筆時は全く意図していなかったが、作品に深みを与えてくれたような気がした。できることなら最初から意図していたことにしたい。

この記事に差し込まれている写真は全て、自分がモロッコで撮った写真だ。当時はデジカメが普及しておらず使い捨てカメラだった。実際の景色はもっと鮮やかで迫力がある。

最後になりますが、読んでいたただいた方々、オススメしていただいた上にあとがきをリクエストしていただいたsiv@xxxxさん。ありがとうございます。


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(サハラの日の出)



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