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エッセイ

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人生の話、フリーランスの話、広告コピーの話まで。TAGOの日々のできごとや考えを綴った文章。
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#人生

エッセイは3割増しで書かれている、という説。

誰かのエッセイを読んだ後、 気分が上がるどころか、 逆に沈んだことはないだろうか。 ああこの人は自分が持っていないものを沢山持っているなあ、こんなすごいの自分には到底書けない、ネタにできるような人生経験がない、面白くおかしく感動的に語れるようなセンスや文章力もない、誰かの悩みや社会課題を解決するような知識もアイデアもない、軸となる思想もない、自分には何もない・・・・・・そんなふうに思ったこと、ないだろうか。 隣のエッセイは青く見えるんだよね。 でも、そのエッセイ、めちゃ

私を操っている妖怪がいる。

仕事の打合せなどで都内に出ると、そこには誘惑の国が広がっている。 食欲と物欲と性欲を刺激するようなものが、際限なく視界に入ってくる。ああ、この東京は、何もかもが揃っていてそのほとんどが手に入れられないショールームみたいな街だなあと思う。 飲食店がひしめく繁華街を歩いていると、ひときわ存在感を放つゴリラに出くわすことがある。「ゴーゴーカレー」というカレー店の看板だ。ここのロースカツカレーを超える食べ物はない。好きすぎて、ゴリラ=カレーと脳内変換されてしまうほどである(嘘)。

「わかってほしい」を抱えて、僕らはみんな生きている。

病気になるたび、お世話になっている内科医院がある。 その医院はいつ行っても待合室が人であふれている。その理由はわかる。診察時、患者の話に一生懸命に耳を傾けてわかろうとする先生の人柄や姿勢だ。実際、自分はその先生と話すとすごく安心する。 「このへんに違和感がある」 「言葉で言い表しづらい痛みがある」 「夜苦しいから何とかしてほしい」 患者たちは自分の体の状況をわかってほしいという一心で、先生に向かって必死に症状をうったえる。先生は患者の話を途中でさえぎらずに最後まできく。

「無謀」なんて言葉で片付けるな。たどり着いた「生き方」なんだ。

「もう3週間くらい前になるかなあ。ここに泊まってた人なんだけどさ、その人さあ、日本での生活を全て捨ててやってきたらしくて。白人の彼女を連れてこれから最南端に行くって言っててさー、かっこよかったなあ。今頃どこにいるのかなあ」 その日、バラナシには澄んだ空が広がっていた。南インドケララ州の空みたいに広くて青かった。ガンジス川のほとりにある小さなゲストハウスに泊まっていた僕は、宿のたまり場のようなスペースで、そこに“沈没”している日本人バックパッカーたちの話を聞いていた。(

目を背けたかった過去を、全肯定する。

“弱い大人”が好きだ。 人は誰もが弱い部分を持っているけれど、多くの人がその弱さを見せずに生きている。でもたまに、弱さ(繊細さ)が自然と滲み出ている人がいる。そういう人は、簡単に消化できないような過去を持っていることが多い。そして人一倍、他の誰かの痛みにも敏感だったりする。 noteで文章を書くようになったせいか、最近は過去を振り返ることが多くなった。生きてきた日々を見渡してみると、ところどころで自分の弱さが顔を出している。目を覆いたくなる瞬間もある。 あの頃の自分は何

たった2年で何ができる?

高校在学中にデビューした小説家、綿矢りささん。 今さらながら、そのすごさを感じている。作品はもちろんなのだけど、私は「デビューまでの時間」の方に着目する。 綿矢りささんは、高校二年生(17歳)の時に文藝賞を受賞した。 生まれてから約17年。文字を初めて書いたのが幼稚園だと仮定すると、4歳くらいで文字に触れてから文藝賞受賞まで約13年ほどである。その2年後には芥川賞を受賞することになる。 小説を書き始めたのは高校生になってからだそうだ。きっかけは太宰治の小説だったという

書くことは、さらすこと。

先日、深夜に投稿した短編小説のPV数が、急激にドカンと上がる出来事がありました。「ん?」と思って、何が起こっているのかとモヤモヤしながらネットをウロウロしていたら、すぐあとに、note編集部のおすすめ記事に取り上げられたというポップアップが出ました。そこに掲載されたことが影響してPV数が急に伸びたようです。 note初心者の自分はピンときてなくて、「note編集部のおすすめ記事って何?」状態でした。いろいろ検索して調べてみると、noteのトップページの左上の方に「おすすめ」

「好きなことを仕事にする」について考える。

お金がいっぱいもらえて、ストレスが少なくて、面白くて、やり甲斐があって・・・。みんながそんな仕事に就けるのであれば、「好きなことを仕事にする」系の自己啓発本が流行ることなんてないだろう。試しに「好きなことを仕事にする」とググったら、ざくざく出てきた。 今ホットなワードなのかもしれないけれど、好きなことを仕事にする云々って今の時代だから発生した主張ではなくて、けっこう昔から誰かが言っていた普遍的なテーマだと思う。いつの時代でも人はやりたい(好きな)仕事があったはずだ。 「好

人はみんな若いまま死ぬ。

二十歳のときは、 三十歳の感覚なんてわからなかった。 三十歳のときは、 四十歳の感覚なんてわからなかった。 四十歳を過ぎた今、 五十歳や六十歳や七十歳の感覚を 少し想像できるようになった。 何歳になっても、 きっと「人生まだまだこれから」と 思って生きているんだろうなって。 二十代前半のころ、 四十代以降の感覚なんて想像もつかなくて こんな乱暴なことを思っていた。 四十代以降って、 もう若さも体力も相当失われていて、 先(可能性)がほぼ見えていて、 “人生の消化試合

いままでの自分より、ちょっとだけ自由になる方法。

先日、糸井重里さんと阿部広太郎さんのトークショーに行ってきた。これは、「企画でメシを食っていく」の特別編として横浜で開催されたイベントだ。会場に来ている人たちは、自分の仕事や人生の参考になる何かを得ようという顔つきで、PCやノートにメモをとりながら熱心に話を聞いていた。自分もその中の一人だった。間違いなく熱量にあふれた空間だった。面白い話をたくさん聞けた。 今回、そのトークショーの内容をごっそりまとめるといったことはしないが、その場にいた人みんなの印象に残ってるであろう話に