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幸せを間違えないために知っておいてほしい構造

幸せはいつも自分の心が決める

書家、相田みつを先生の有名な言葉があります。

どうせ授かった生命なら、せめて幸せに生きてゆきたい、誰もが願うことではないかと思います。

古今東西様々な偉人が幸せについてたくさん考えてきましたが、考えるのは自由なので私も少し考えてみます。


1. 幸せには2種類がある

まずわかりやすい幸せというのを考えてみます。

例えばおいしいものを食べたり、大金持ちになってやりたいことを自由にできたり、意中の人と愛し合えたり、とそんな感じでしょうか。

お酒やタバコ、あるいは覚醒剤とかで幸せを感じるという構造もあるかもしれませんね。

こういうわかりやすい幸せの具体例を挙げていくと、どうやら幸せには2種類ありそうだ、ということが見えてきます。

それは「瞬間的な幸せ」と「状態的な幸せ」です。

「おいしいもの」「タバコ」「お酒」「覚醒剤」のように、一時的に幸福感がもたらされるのが「瞬間的な幸せ」、

「お金持ちでなんでも買える」「意中の人と愛し合える」のようにある程度持続する時間の中で感じ続けられるのが「状態的な幸せ」です。

前者はかりそめの幸せで、後者こそが私達の求める幸せという感じがするかもしれませんが、おそらく両方が幸せにとって必要な要素という気がします。


2. 幸せな状態になるために必要不可欠なもの

もう一つ気がつくのは、「状態的な幸せ」には何かしら人が関わっていて、「瞬間的な幸せ」は一人で完結するという傾向がある、ということです。

「瞬間的な幸せ」は「個人的な幸せ」、「状態的な幸せ」は「集団的な幸せ」と言い換えられるかもしれません。

もしかしたら、人が関わっている幸せだからこそ、その幸せは共有されて、それが「状態」となりうるのかもしれません。

では「個人的な幸せ」が「状態」となることはないのでしょうか。

これについてはもしも世界が自分一人だけの「個人」的な世界だとした場合の思考実験をしてみるとわかりますが、

おそらくそんな世界で幸せを感じることは困難ではないでしょうか。

そんな世界でさえ、考え方によっては幸せでいられるんだ、という考えもあるかもしれませんが、

それは実在の「集団」的な世界で生きてきた知恵と経験があるからこそ出来る、言わば人為的な考え方なので、

その概念さえない最初から「個人」的な世界だった場合を想像すると、そこにあるのは人間以外の動物に近い感覚で無感情、無感動のまま過ごすことになるのではないかと考えてしまいます。

この思考実験の結果の妥当性はさておき、このように考えてみて、わかったことが2つあります。

①幸せを持続的なものにするためには他者との関わりが必要不可欠であるということ

②「瞬間的な幸せ(個人的な幸せ)」を追求すればするほど他者の幸せが侵害され、結果的に「状態的な幸せ(集団的な幸せ)」から遠ざかっていくということ

多分、「瞬間的な幸せ(個人的な幸せ)」も幸せな人生を送るためには必要です。

おいしいものが何も食べられない世界を想像すれば、それを理解するのは難しくないでしょう。

このように「個人的な幸せ」を我慢する生き方は「自己犠牲」とも言います。

まずは「個人的な幸せ」は幸せのスパイスとして存在すべきでしょう。

しかしこの「個人的な幸せ(瞬間的な幸せ)」で「状態的な幸せ」を目指そうとすれば、何度も幸せの刺激を繰り返し続けなければなりません。

「個人的な幸せ」のためのスパイスが過量になると、皮肉なことにそれもまた「集団的な幸せ(状態的な幸せ)」から遠ざかってしまいます。

これは覚醒剤中毒の状態が自分はよくとも周りにとって大変な不幸となってしまうことからも容易に理解することができます。

このように「個人的な幸せ」が過剰にもたらされる状態のことを「自己中心(傲慢)」と言います。

自分の世界は「自己」を「中心」とした視点で眺めているので、そういう純粋な意味での「自己中心」であればよいのですが、

我さえよければ他はどうなってもよしという「傲慢」という意味での「自己中心」では幸せになれないということです。

おそらく「状態的な幸せ」を目指すためには、「自己犠牲」と「自己中心(傲慢)」の間を心がける必要があると思います。

すなわち、時に「瞬間的な幸せ(個人的な幸せ)」をモチベーションを上げるために使いながら、

けれどもそれが多くなり過ぎないように、身の回りの人達との関わりを意識して、集団として幸せに向かう方向に生きていく、と。

そうすれば「個人的な幸せ」と「集団的な幸せ」を両立させることができ、

幸せは波のように躍動しながら私達の中で状態化していくのではないかと思うのです。

そうすると「個人的な幸せ」は少なくて済めばそれに越したことはなさそうですね。「少欲知足」とはよく言ったものです。


3. さぁ、幸せになろうか

幸せの構造は理解できたと思います。

それでは今日から早速幸せになれるかと言えば、現実はなかなか厳しいですよね(^^;;

もしかしたら上手にやればすぐ幸せになれるかもしれないけれど、

そう思うためには自分が納得するための試行錯誤の時間が必要だと思います。

どれくらいの時間が必要であるかも人によって違うでしょうし、それは自分で決めていくしかありません

人生は幸せを求める終わりなき旅なのかもしれません。

今回の話がその旅をスムーズに進めるためのヒントになれば嬉しいです。



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