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人はなぜ、山に登るのか

1. 山登りならではの魅力とは何か

なぜ山に登るのか」と問われた登山家が「そこに山があるからだ」と答えたのは有名な話ですが、

前回の「人はなぜ、旅行に行くのか」に続いて、本日は「人はなぜ、山に登るのか」について自分なりに考えてみたいと思います。

というのも先日とある大きな山に登る機会があったからです。

私自身は正直、山に登るのは得意ではありませんし、それ以前に山に登ったことも数えるくらいしかありません。

しかも過去の登山経験ではものすごく疲れ込んでしまい、もう二度と登ることはないと決め込んでしまうほど、辛い思い出しか残っていませんでした。

しかしながらそれでもまた山へ登ってみようと思い直すということは、山に何かしらの魅力があるとしか考えられないと思います。

山登りも旅行の一型だと考えれば「新しいものに触れたいから」という風にも解釈できますが、

それにしても一度は「二度と行くまい」と思ったほどの気持ちを「また行きたい」と思わせるほどの魅力ともなれば、

単に「新たな挑戦」というだけでは説明できない山登りならではの魅力があるのかもしれません。それについて少し考えてみましょう。


2. 苦しみの末に手に入れた喜びはありがたい

今回、久しぶりに山登りをしてみてわかったのは、当たり前のようですがやはり「ものすごく疲れる」ということです。

ただその一方で色とりどりの景色、日常生活の中では決して出会うことのないであろう自然が織りなす非日常的な絶景が歩みを進める度に出迎えてくれます。

私はこの「疲れ」というのが実はネックになっていると思っていて、

この「疲れ」を経ずして美しい自然の風景を見ても、勿論キレイはキレイだと思いますが、何というか有り難みが弱まってしまうのではないかと思うのです。

つまり、苦しい経験を経て素晴らしいものに出会うことの喜びという構造が登山そのものに含まれているという特徴があると思うのです。

何事も簡単に手に入ったものよりも、自分が苦労の末に手に入れたものの方が価値を感じるという傾向は誰しもあるのではないかと思います。

しかし実際には自分が苦労したからといって必ずしも成果が得られるとは限らない場面も大いにあると思います。

山登りというのはそんな中でも「頑張れば必ず報われる」ということを提供することができるイベントなのではないでしょうか。


3.  本質的に考えると山登りへ興味が湧いてきます

今回の山登りでも例に漏れずに私は相当な疲労を自覚しました。

もうしばらくは山登りできないだろうな、とも感じました。

しかし今回以前と少し違うのは、「疲れがとれたらまた違う山登りに挑戦してみようかな」という気持ちが芽生えていることです。

若い頃の私は、ただ表面的な辛さだとか、何の得があるのかだとか、打算的なことしか考えられていなかったように思います。

しかし最近はものごとの本質部分に注目して考えてみるようにした結果、自分のとるべき方向がよい意味で変わってきているように思います。

勿論、身体に余裕がある時でないとできないことだと思います。こんなことは山がとても好きな人達にとってはなんてことのないことなのかもしれませんが。

それでも私は私の可能性を拡げるためにと、私自身の人生の喜びの幅を拡げるために、

少しずつでも山登りでしか得られない人生の喜びを得て、私自身の人生に彩りをつけていきたいような気持ちとなっています。

まだまだ山登りに興味を持ち始めたひよっこにすぎませんが、

山登りの魅力を知っている方々には是非その体験をシェアしてもらえればと思います。

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