小説『オスカルな女たち』51
第13 章 『 再 起 』・・・3
《 胸騒ぎ 》
・・・・只埜好月(ただのこうげつ)、享年74歳。
31歳『思い出せない味』で映画監督デビューするまでCMディレクターとして活躍。その後、3年ごとに映画を発表していたことから「3年寝太郎」の異名を取り、昨年夏に撮り終えた15作目の映画『顔のない女優』が遺作となる。
おもな代表作『帰ってください』『ご飯はおかわり自由ですか』『あたしがルール』など。
・・・・『顔のない女優』…監督:只埜好月、脚本:南都佳(みなみつよし)、原作:神戸華(かんべはな)、製作:垂嘉三(たれよしみ)、音楽:くちなわ邪々(やや)、主演:弥生すみれ、共演:…
年明け最初の土曜日は、4人引き寄せられるようにして『kyss(シュス)』に集まった。
そこでひときわ場を賑わせたのは、年末に惜しまれながらこの世を去った映画監督〈只埜好月〉の遺作映画のニュースから、高校時代『観劇のオスカル』と冠された女優〈弥生すみれ〉こと、かつての同窓生〈花村弥生子(やえこ)〉の話題でもちきりとなった。
「弥生すみれの主演映画なんだってね。海外で撮影したのかな?」
いつもの〈ナッツ〉をつまみながら、ワイン片手につかさがつぶやけば、
「彼女、語学留学じゃなかったの?」
〈生ハムとルッコラのサラダ〉を優雅に口に運ぶ玲(あきら)が続き、
「いや。既に映画は仕上がってて、入院中の監督の回復待ちだったらしいぜ? 結果追悼になった…け、ど。あぁ、テレビの言うところだと、な」
一番芸能ニュースに疎そうな真実(まこと)が締めた。
「ふ~ん」
妙に納得させられたつかさと玲を横目に、織瀬(おりせ)だけはなにも語らなかった。
「撮影が終わってから語学留学に行ったってこと? あれ…でも。そう言えば玲、去年の例の本家の『女子会』っていつだった?」
それはいつ頃だったか、玲の兄嫁である『巻き毛のオスカル』こと〈御門明日香〉の呼びかけで、高校時代の玲の取り巻きたちとの〈女子会〉が行われたことを思い出すつかさ。
「その言い方やめてくれる? なんだかここに居ちゃいけないみたいじゃない」
言いながら空いたグラスをカウンターに向けて合図する。
「あぁ、ごめん。つい…。でも、その時にはもう撮影してたんじゃない? 昨年夏って書いてあるし…なにも言ってなかったの?」
「まぁそんなこともあったわね…。たしか、7月の…半ば頃、だったのじゃないかしら」
目を細め、当時の記憶を辿る。
「だよね? そのあとだよね、語学留学」
「よく覚えてんなー。さすが学年TOP」
勢いに任せてジョッキを空ける真実。
「やだ、そういうわけじゃなくて。明らかに女子会の時は日本にいたわけだから…。そのあとになるの? 映画の撮影ってそんなにすぐ終わるもの? なにも言ってなかったの? 彼女」
やけに前のめりで玲に詰め寄る。
「あの時は…それどころじゃなかったから。でも、そうね…もし撮影時期と重なっていたのなら、」
黙ってるのは確かにおかしい…玲はそう付け加え、
「案外、海外なんか出ていないのかもしれなくてよ?」
的を射た発言を繰り出した。
「なっ…なんでそんなことわかんだよ…!」
つい言葉を差し込んでしまう真実は、居場所を知っているだけに気が気じゃない。
「なによ、マコ。ムキになって」
「別にムキになっちゃいない…」
根がまっすぐな真実は、こういう話題においては「遠まわし」とか「はぐらかす」といった器用な言い回しが利かないのだ。
「語学留学と称して極秘に映画ってこと?」
つかさがその真意を推理すると、
「あ~そういうこと」
ほっとしたのもつかの間、
「でも内緒にする必要がどこにあって…?」
玲の言動にまた目を泳がされる。
「それだけすごい映画ってことなんじゃねーの?」
これまた妙な言動を発したところで、飲み物が運ばれてくる。
「お待たせしました」
いつもながらにスマートにやってくる真田に対し、真実は力強く「ナイス!」と心で叫んだ。
「盛り上がってますね」
ひとりひとり丁寧に視線を交わし、最後に織瀬と目線を合わせる。
「そこ、見つめ合わない…!」
腕組みをして、織瀬と真田に冷ややかな視線を送る真実。
「まぁまぁ…」
そんなやり取りさえ微笑ましいと思うつかさは、実は一番その光景を楽しんでいた。なにより居心地の悪そうにしている織瀬が、とてもかわいらしく見えることが嬉しかったのだ。
「改めまして。年始代わりにどうぞ…」
そう言って真田は真実のジョッキと玲のピルスナーを置く次いで〈そら豆〉と〈ローストビーフ〉の載った皿を差し出した。
「あら、気が利くじゃない…」
幾分皮肉めいて聞こえる玲の言葉も、不貞腐れた真実の態度を加味すればのセリフだった。
「ごゆっくりどうぞ…」
なにを言われても動じないのは今さらだが、動じない真田の態度に、先ほどの「ナイス!」を取り下げたくなる真実。
「でもこの監督、一応すごいひとみたいだね」
つかさがスマートフォンをテーブルの中央に突き出して見せた。
「映画見たことある?」
3人の顔を順番に眺める。
「『忘れられない味』だっけ?」
「『思い出せない味』でしょ?」
「どっちもどっちだろ…」
「そうそう、変なタイトル多かったよね。今回の映画だって…『顔のない女優』だって、どんな内容なんだろうね」
「顔出しなしってこと?」
「それはないでしょう?」
そう言ったところでつかさは、織瀬に視線を移し、
「織ちゃん、どうしたの? ずっと黙ってるけど」
真田のことを気にしているのか…と勘ぐるつかさだったが、
「え、ぅん」
生返事を返す織瀬は、つかさのスマートフォンの画面を指し、
「…このひと、おじいちゃんだよね?」
まったく違う言葉で切り返してきた。
「え? そう、だね。73?」
画面をスワイプし、年齢を確認する。
「あ、74。なに、歳が気になるの?」
「そういうわけじゃないけど…」
織瀬の中の密かな疑問は、果たしてこの映画監督が弥生子のお腹の中の子の父親か…ということだった。「忘れ形見」という言葉が脳裏をよぎる。
「それはないだろ…?」
織瀬を凝視する。
「なに言ってんの、マコちゃん」
「あ~。なんでもない」
「そう言えば、あの頃。女子会の時? だれかと噂になってなかったかしら、彼女」
口元に手を当て、うっすらと女子会での会話を思い出す玲。
「あの頃?」
「女子会の頃…インスタとか…」
「あ~あったかも!? この監督ってこと? ぁでも、いくらなんでもおじいちゃん過ぎるか…」
さすがに70越えだもんね…と、口ごもる。
「でも、彼女のお相手も結構年齢の行った相手だった気がするわ…? だれとは聞いてないけれど」
その言葉に顔を見合わせる織瀬と真実。だが、
「すっかり有名人だな、弥生すみれ」
玲の記憶を妨げるように会話に割って入る真実。
「まだ海外? いつ帰ってくるんだろうね?」
なんとなく誤魔化したい織瀬に、
「映画やるころには帰ってくんじゃないの?」
擁護する真実。
「観に行ってみる?」
もちろん興味本位のつかさ。
「やめとけよ」
即座に止めに入る真実。
「なんで…?」
「なんとなく」
映画鑑賞を止める必要はないのか…と思い直す。
「あ、でもこの監督、映画監督の前はCMとかやってたみたい。弥生すみれの『ちゅ~リップ』もじゃない?」
画面をスクロールしながら「へぇ」とひとり感心するつかさは、
「次の同窓会は、この話でもちきりかもね~。彼女も鼻高々で参加するよね?」
楽しそうに続けた。
「こないんじゃない? いつもいないじゃん」
事実、弥生子はそういった集まりを「苦手」としていた節がある。
「今回ばかりはそうでもないんじゃない? 主演だよ?」
なにも知らないつかさは興味津々だ。
「もうやめようぜ、この話」
話の流れを断ち切りたい真実と、
「そうだね、せっかく4人揃ったんだし…」
気が気じゃない織瀬。
「新年早々する話じゃない」
確かに、もとはと言えば「監督の訃報」から湧いた話なのだ。
「じゃぁあなたの話をする?」
意地悪く織瀬を見つめる玲。
「あ~っと、それは…。ぁ、もうすぐ、赤ちゃんに会えるよ」
「そんなことじゃないわよ…」
逃がさない…そんな雰囲気の玲の視線は上目遣いにカウンターを見ていた。
「そこは…ごめんなさい…」
静かに答える織瀬。
「ふふふ…もう、それだけで充分よ。しあわせそうでなによりだわ、織瀬。それより、赤ちゃんの名前はもう考えているのかしら?」
玲も本音では祝福しているのだ。
「男か女かもわからないのに?」
勢いでそら豆を飛ばす真実。
「ちょっと、マコ」
「あ、わりぃ…」
「うん。決まってるよ」
思いのほか織瀬は冷静に答えた。
「えぇ、なんて? ぁ、まだ内緒?」
「ぅぅん。男でも女でもいい名前…」
「へぇ…」
そんなことは聞かされていない真実は、なぜだかチクリと胸が痛んだ。
「真田君は、知ってるの? その…養子のこと」
それはここにいるだれもが懸念することだった。
「うん。少し話した」
「それで、なんて?」
野暮とは思いつつもその先が知りたいのはつかさだけではないようだ。
「プロポーズでもされたかしら?」
しれっと、グラスを傾けながら玲が問う。
「そんなっ! されるわけないよ」
当事者の織瀬にとっては、まったく考えてはいないようだった。
「そうなの!?」
それでいいの…と続けたいが、つかさは口をつぐむ。
「なんだよ、ぐずぐずしてやがんな」
言いながらカウンターを見る真実に、
「そもそも、半年は我慢しないといけないわねぇ」
話を振っておきながら落ち込むような言動を発する玲は、緩やかにグラスを傾けた。
「まぁ、そうか」
「まだまだ、考えられないよ」
「そうなの!?」
そんなものなの…と、またつかさは言葉を飲んだ。だが確かに、あっちがダメならこっちという態度はいただけないか…と思いなおす。
「ひとりで頑張るんだ…」
真実も複雑な気持ちを隠せない。
「大変じゃない?」
「最初から頼るつもりなら、養子なんて引き取らないよ。そんなの、ずるいじゃない。『子どもをもちたい』ってことはずっと夢だったし、ここまで来て『ひとりじゃ無理』だなんて虫が良すぎるもの」
織瀬なりの覚悟を示し、
「すでに5人の子どもを育てている玲には『甘い』って言われちゃうかも、だけど」
と、玲を上目遣いで見遣る。
しかし、玲はそれについてはなにも言及せず、
「強くなったわね、織瀬」
激励ともとれる言葉を返した。
「鍛えられましたから…」
そういって微笑む織瀬はとても嬉々としていた。身の回りの整理も済み、子どもを迎える覚悟ができたということだろう。
「赤ちゃんと言えば…玲のとこはどうなった?」
「なによ、突然」
玲としては、今は触れられたくない話題だった。
「羽子(わこ)の結婚、決まったのか?」
「あ~そうだね。どうなった、あれから」
あたしも気になってた…と、つかさも真剣なまなざしを向けた。
「これからよ。結局、なんだかんだ理由つけて逃げられちゃって」
「全然ダメじゃん」
話にならない…と、頬杖をつく真実。
「思いのほか頑なで…。それより羽子の身体の方が心配よ、あんなにイライラしてたらお腹に悪いわ。すっかり疑心暗鬼になっちゃって、私も『グルなんじゃないか』って話もしてくれなくなって」
玲は、頬に手を当てため息をつく。
「あぁ、なんだか情緒不安定らしいな」
家出騒動以来、羽子は真実の母である操(みさお)の担当患者になった。若い子が相手だとすぐに頭に血が上ってしまう真実と違い、天然とはいえ操の方が幾分辛抱強いのに加え、なにより子どもに対して真実より経験値が高い。
「操先生だけが頼りよ」
加えて、水本家には「おばあちゃん」という存在がないだけに、玲にとっても操の存在は大きかった。
「そんなんじゃ玲も落ち着かないねー」
間もなく新生児を迎えんとする織瀬も、似たような感情を抱いていた。
「そんな状態で、こんなとこに来てていいのか?」
ただでさえ情緒不安定だというのに…と、腕組しながら真実が指摘する。
「今日はね、まだ瑶平(ようへい)くんがお正月休みで、家に来てくれているから。あ~でもそろそろ帰らないと…」
腕時計を見ながらそう語る玲の、本音は自身も参っている様子が窺える。まだほかにも片付けなければならない問題もあったが、ひとまず「息抜き」がしたかったのだという。
「親父とかち合ったらどうすんのよ?」
ローストビーフを口に頬りながら、真実は箸を振る。
「ちょっと、やめなさいよマコ」
怪訝な顔で真実を制し、
「…それはそれでいいと思っているのよ」
未だ怒りは収まらず、玲の話に耳を傾けてもくれない夫を思う。だが、目の前に問題を突き付けてしまえば、向き合わないわけにはいかないだろう…と。そう簡単にいくものでないことは承知しているが、万策尽きたといった様子だ。
「荒療治だね。でも話も聞いてもらえないんじゃ、無理もないかもねぇ」
自身の姪っ子たちも〈思春期〉の真っ最中とあり、他人ごととは思えないつかさ。弟〈継(つぐ)〉の奥さんは現在身重で、数か月後には出産を控えている。それを思えばまた、つかさとて他人(ひと)ごとではないのだ。
「旦那様も、引っ込みつかなくなってるんじゃない…?」
それは、頑なな夫と10年顔を突き合わせた織瀬だから言える言葉だった。とかく男は意地っ張りだ。そんな時はなにを言っても聞き入れず、梃でも動かないことを経験したばかりだ。
「いっそ入院でもさせるか? 羽子にも、旦那にも、いい薬になる」
いいことを思いついた…とばかりに、真実が拳を打ち付けた。
「それ、いいかも? 病院の方が羽子ちゃんもおとなしくしてるんじゃない?」
そう言ってつかさも玲を見る。
「そうかしら…? でもそうね…それもいいかもしれない。つわりは落ち着いたけれど、莉子(りこ)と毎日ケンカが絶えなくて…」
ため息をつく。
「今度は姉妹のケンカかよ?」
「今、なんでも羽子の真似をしたがってて、一人前の女のケンカをするのよ。しかも遥平くんのこと気に入っちゃってるものだから、いろいろと大変」
眉根をあげてため息をつく玲には、もうひとり娘がいる。
「ひゃ~女の子だねぇ…いくつだっけ?」
つかさはまだ玲の次女、莉子に会ったことがない。
「4月から小学生よ。間近でギャルを見て育ったものだから、もうあの子は本当に…」
「立派な小姑なんだね、もう」
苦笑いで答える織瀬。
「そういうことね」
5人も子どもがいれば、ひとりだけに係ってもいられない。まして皆個性を持ったひとりの人間、小さいからと言ってもいち個人、立派な女なのだ。
「それじゃぁ、行くわ」
話が持ちあがったところで急に不安になったのか、慌ただしく席を立つ玲。
「マコ、その『入院』の件、前向きに善処してもらえるかしら」
そう言い残し、目配せして出口に向かった。
「はいはい。すぐにでも…」
そう言って真実はジョッキを口に運んだ。
「玲も大変だ~」
幾分余裕に見える織瀬はそう言って玲の背を見送った。
「おりちゃんの方は、これからどうなるの? その、手続きとか…」
遠慮がちではあるが、一番大事なところだとつかさは詰め寄る。
「織瀬の場合は〈独身養子縁組〉っていう形になる。心身ともに健康で、虐待のないこと、が条件。経済的なことはそんなに重要じゃないが、安定しているに越したことはない」
「独身養子…なんだか固い言いまわし」
そう言ってつかさは織瀬と目を合わせた。
「今の世の中、ふた親がそろってたからって、子育てに充分である考えはない。世の中には結婚できない人もいれば、したくない人もいる。それでも子どもを望む、そういう人のための言葉だな」
「片親でも問題はないの?」
言ってはいけない…と思いながらも、こちらも言わずにはいられない。
「条件を満たしていれば、ね。あとは、生まれてくる赤ちゃんの病気や障害の有無を問わずに育てられる覚悟…」
「あぁ、そうか」
出産には必ずしも〈安全〉が約束されているわけではない。
「うん。それはもう、その子の運命だから。わたしは、丸ごと受け入れるよ」
「頼もしいね、織ちゃん。本当に強くなったね」
「そうかな…」
少し照れたように微笑む織瀬。
「でも、仕事を持ちながら育てるとなると、これからこんな風に会えなくなるのかな」
「場所と都合が合えば…」
織瀬が言い難そうにしていると、
「織瀬には育ててくれたおばあさんの信託財産があるらしくて、経済的な問題はなにもないから、しばらくはゆっくりしてられるんだろ」
そう真実が代弁した。
「へぇ…」
信託財産。また新しい言葉だ…と、つかさが頷く。
「祖母が亡くなってからずっと凍結されてたんだけどね、ようやっと今年の誕生日に開襟になるの。弁護士さんに養子を受け入れる話をしたら、早めに手続きしてくれるっていうんで…引っ越しのタイミングで開示してもらったの」
「弁護士…。ぁ、それで! マンション買ったんだ」
なるほどね、と手を打つ。
「そういうわけ…」
「じゃぁ、織ちゃん。受け入れ態勢万全なんだねー」
「すごいな、おばあさん」
真実は一気にジョッキを傾け、飲み干すと同時にテーブルを叩くようにジョッキを置いた。
これ以上織瀬に決まづい話をさせまいと思ったのか、
「そういえば、さ…つかさ。玲のファンに言い寄られてんだって?」
真実には、玲からひとつ頼まれごとがあった。
「ふぁん? 南茶良(みなさら)ホームの秋山くんのこと? え、別に言い寄られてはないよ…」
それは、つかさ自身が気づいてはいない「恋の兆し」について、自覚があるか…という確認だった。
「だからそれは、解ってないだけなんだろ」
ニヤニヤと、つかさに詰め寄る真実。
「え? 解ってないって、だれが? なにを?」
「つかさが…」
「そういえば、この前あたしがちょきのトリミングに行ったときも、いたよね? そそくさとなんでもない顔して帰って行ったけど…」
自分も気になっていた…と織瀬が続いてつかさを見た。
「なんのこと?」
「つかさはさ、とぼけてるのか…それとも本気で気づいていないのか…ってところだよね?」
「だよな…」
から笑いをして、カウンターにジョッキを振り上げる真実。
「明らかに、その秋山くんとやらの行動は目に余ると思うよ?」
織瀬はさらに顔を覗き込む。
「まさか…だって、玲のファンでしょ?」
笑い飛ばす。
「そこに騙されちゃダメだろ」
「だって、なんの用事で通ってきてるの」
織瀬が頻度を問えば、
「トリミングでしょ?」
どうでもいいことには頓着しないだけなのか、当たり前の答えを出すつかさ。
「トリミングって、そんな頻繁なのか?」
それだけじゃないことを言いたい真実。
「え?」
どうでもいいことだからスルーしているのか、だがそう言われてみれば…と、ふたりの顔を見返すつかさ。
「えっ?」
「わかった?」
「うん。おかしいよね。あたし、料金摂りすぎてる?」
こうなると焦らされているとしか思えない。
「だぁぁぁ…そうじゃなくて、あいつはつかさに会いに来てるんだろ?」
「そうそう。明らかにつかさのことが好きなんだよね…?」
すっかり好奇の目で見ているふたりに、きょと~んのつかさ。
「え。…え~?」
そうなの?…と、途端に無口になる。そして、
「よくわかんない…けど?」
「そんなんでよく結婚したな」
「だって。結婚とはまた違うでしょ…てか、」
あの時は…と、押し切られた形の過去を振り返る。
「あ~吾郎さんは、かっちゃんがキューピッドだったっけ?」
「そうでもないと、気づかないのか」
なるほど…と納得の真実。
「まさか。…いや、ないでしょう?」
苦笑いで返すも、
「いや、あるだろ」
「あるよね~」
ふたりの言葉に肯定され、するとみるみるつかさの顔が紅潮し、
「やめて! 次来たときそういう目で見ちゃうじゃない」
つかさは両頬に手を当て、そう言って慌てた。
そんな今さらな行動に、
「いいんじゃないか?」
「ちょっとそういう目で見てみたら? それとも好みじゃないの?」
つかさは片手で口元を抑えつつ「考えたくない」と答え、
「いや…だって、まさか。なんであたし?」
ぶつくさと考え始めた。
「つかさ…ひょっとしてもう、気づいてるんじゃない?」
「え?」
「気づきたくないのか、気づかないふりなのか…でももう、新しい恋をしてもいいと思うよ? 元カレも、恋人ってわけじゃないんでしょ?」
「そうだけど、でも…!」
タイプじゃない…と言おうとして、
(あたしのタイプって…どんなだった?)
途端に不安に駆られた。
「お待たせしました」
真実のジョッキを持って現れた真田に、
「なぁ、最近のつかさをどう思う?」
突然投げかけた。
「ちょっと、マコちゃん!」
「どう?…と言いますと?」
「雰囲気とか、感じ? なんか変わったと思うか?」
ジョッキを受け取りながら真実は続け、そのままビールを口に含んだ。
「あぁ、そういうことですか」
そう言って真田は、顎に手を当てまじまじと見遣る。
「ちょっと、章悟くん…! 悪乗りしすぎ」
半ば拗ねた様子のつかさに対し、
「髪を切ってから雰囲気は変わりましたけど…。今は、更に明るさが加わりましたか?」
「え?」
「ぁ、いや、前が暗いと言っているわけではなく、なんと言うか…」
「それは離婚して吹っ切れたからじゃない?」
それは認めるよ…と言ってつかさは、落ち着くためかワイングラスを口に運んだ。
「それもそうですが、今はいい感じですね。女性として輝いているというか…」
「輝いてる!? なによそれ~」
ありえないんだけど…と、額を抑える。
「イキイキしてます」
「イキイキ…! それで?」
真実は嬉しそうに目を見開く、対し真田は恐る恐る、
「恋してますか…?」
ぶはっ・・・・
途端に真実が噴出し、
「…ほれみろ~」
「章悟くん…!」
それをかき消すように名を呼ぶつかさ。
「はい。ぁ、間違ってますか?」
まずいことを口走ったか…と織瀬を見遣る。
「嫌い…!」
つかさはそう言ってそっぽを向いた。
「え…」
今度はたまらず織瀬が吹いた。
「あはは…。もう認めなよ」
「マコちゃん…」
帰り際、つかさは真実を呼び止め、両手を前に合わせて「とほほ…」な表情で見据えた。「どうした…?」
真実がつかさのそんな顔を見るのは、これが2度目だった。1度目は大事なところにできものができた…と悲痛な顔で医院に訪れた時だったが、
「相談があるの…」
「もしかして…? 秋山のことか」
面白がって笑みを浮かべる真実に、
「そうじゃない、こないだの続き」
と、それどころではない様子を訴える。
「続き? またできものでもできた…とか」
「そうじゃないの。ちょっと違う」
どうにも言いにくそうなつかさを訝しむ。
「その…体毛がね、復活しないの」
「体毛? 復活しないって、あそこの…?」
「そう、そうなの。あのあと、治り際におできの周りの皮が剥けたんだけど、はっきりとは見てないんだけどね、どうもつるつるになっちゃってるみたい…そのまま。片側だけ」
「じゃぁ今、パイ…」
「スト~っプ。それは言わないで、勘弁して…」
両手をかざして真実を制す。
「あ~まぁ、場所が場所だからなぁ、仕方ないか。できものは治った?」
「ん~まだしこりがちょっと」
「そうか…この先また悪さしないといいけど」
言いながら真実は襟足の辺りをかいた。
「いっそ両方つるつるにしちまえば?」
「マコちゃん!」
「はいはい、ごめんよ」
「もう生えてこないってことある? あ、別にだれに見せるわけでもないけど…」
言い訳じみた言葉を発して、先ほどの「秋山」の話を思い出してしまっては顔を赤らめる。
「大丈夫だと思うぜ、若いんだし。年寄りなら生えてこない可能性もあるが、まだ大丈夫だ」
「そう」
安堵するつかさに、真実は、
「なぁつかさ。織瀬も言ってたけどさ、別に恋したっていいんじゃないか?」
そう語りかけ、
「リハビリももう、充分だろ」
そう言って微笑んだ。
ここから先は
¥ 100
まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します