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わがままと嫉妬の正体

こんばんは 。

今日は、すごくすごく違和感を感じていた「心」のことに対してお話したいと思います。
小中高の学校教育には心理学ってないんだけど、おかしいと思っている。いじめや差別、鬱病なども、みんな「心」のことを真剣に向き合ってたら起きないはず、と思うんです。

やれ対症療法で不登校の子に学校行きなさいとかいじめをヤメようとか言って、行為自体は止むかもしれない。でも問題は根本が変わらない限り起こり続けるものだと思う・・

小さい頃に、「人には優しくしなさい」って言われるけど、自分には優しくしなさいって言われないのはなんでだろう??自分に優しい人に、甘えているとか怠けているとか後ろ指さされるのはなんで??最近特にそう思うようになってきました。

わがままってなーに?

この間、悩み相談を受けていたとき、自分の好きなことをしたらわがままなんじゃないかと自分に罪悪感を感じてしまう子がいたのね。そこで、「わがままってなんだろう?  」とあ改めて感じたわけです。

自分の心に優しくすること=ワガママじゃないと思うんです。じゃあ、自分に優しい人と、わがままな人は何が違うのかなー・・という発想になりました。だって、同じことをしていてもある人は「わがまま」、ある人は「自分に優しい」と写ることもあるもので・・ 

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違うのは「前提」

私の解釈なのですが、わがままだと言われる人と自分に優しい人って「前提」が違うのではないかと。自分自身でどういう前提を見えない心の中に持っているかということです。ちなみにわがままな人の前提って、

・どうせ大事にされない
・私は愛されない
・私のことは見てもらえない・受け入れてもらえない

こんな感じ。もちろん大前提がこんな感じなので、自分の我を無理にでも通そうとします。そしてその結果、大事にされなかったり/愛されなかったり/受け入れられなかったりします。

一方、自分に優しい人は、

・私は愛されている
・どうせ私は大事にされる
・いつも気にかけてもらっている

という前提なので、自分が大事にされるのが良い意味で当たり前。だから周りも自然に大事にできるという感じです。

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脳内変換してみる

例えば前者の人が、体調が芳しくなく、席が埋まっている電車の椅子に「座りたいな・・」と思ったとします。

(前者の取る行動)
・ドカンと人の間に割って入る
・もちろんありがとうはない
・むしろ周りから嫌な顔をされたら逆ギレする
 (後者の取る行動)
・具合が悪いので席を譲って欲しいと伝える
・ 素直にありがとうという

ここまで極端ではなくても、日頃こういう光景ってよく起きていることなのかなとも思います。

行為自体は厚かましいはずなんだけど、なんだか全然嫌な気がしない・・という人は周りにいませんか??それはきっと、自分の心を大事にできている後者の人なんだと思います。

嫉妬はどこからくるのか

「◎◎ちゃんって調子乗ってる」「大して◎◎なのにちやほやされてムカつく」「◎◎ちゃんは可愛いよね(嫌味) 」女性なら一度は感じたことのある感情ではないでしょうか。

男性でも、意識では感じないようにしていますが無意識に感じている人も多いと思います。こういった他人に対する攻撃や嫉妬は、自分自身の中に抑圧された感情であることが多いです。

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つまり私には全部こういう風に変換して聞こえます。

「◎◎ちゃんって調子乗ってる」→◎◎ちゃんが脚光を浴びていて羨ましい。◎◎ちゃんみたいな存在になりたい。みんなの視線をあびたい。
「大して◎◎なのにちやほやされてむかつく」→私は◎◎ではない。◎◎でなければちやほやされてはいけないんだ。
「◎◎ちゃんは可愛いよね」→私だって可愛く見られたいよー。もっと見てよー。

つまり、どんなネガティブな言葉を吐かれたって、こう脳内変換すれば面白おかしくないですか?? もう茶番ですよ(笑)ネガティブな言葉を吐いている人がいたらいつもこんな風に捉えています。

それだけで自分が傷つかなかったり、落ち込まなかったり・・・子供たちにはこういうスキルをぜひ身につけてもらいたいと思うのです。私もこういった思考を身につけるまでは他人の目線や言動にいちいち反応しては傷つき、疲弊してきました 。

だから今苦しい人たちでも、少し見方を変えることで見える世界が全然違うんだよ 、とお伝えしたいです。

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