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『君の見る彼岸を』~残された時間の中で~

恋文を 下手くそな 短歌にして お父さんに 送った。

「 こういう風に書けば、 気持ちを言えるんだけど、 口で言うと、 恥ずかしくて 照れてしまってダメだ」

お父さんにそう言った。

お父さんから、

「 短歌はまだまだ下手くそだなぁ。 まあ 始めたばかりだから、 ゆっくり熟練するといいよ」

と返って来た。

そして お父さんはすぐに 布団に頭をうずめ、 熟睡してしまった。

お父さんの 頭の臭いを嗅ぎたくて、 お父さんの布団に潜った。

ぎこちなく手を回して、 お父さんが苦しくない程度に 抱きしめた。

しばらくの間、 おでことおでこをくっつけて、 お父さんの寝息を聞いていた。

それから お父さんの、 ふさふさの白髪を撫で、 髪の毛の中に 思いっきり 鼻をうずめて うんと 匂いを嗅いだ。

甘い匂いがした。

うっとりと、 そのまま匂いを嗅いでいた。

そうしながら、 お父さんの手を両手で 包んだ。

急にドキドキしてきて、 顔が ほてった。

それから ぎゅっと、 体をお父さんに近づけた。

たったそれだけ。

たったそれだけで、 あっという間にエクスタシー に達し、 小便まで 漏ら してしまった。

全く何をやってるんだろうと、 慌てて トイレへ行った。

子供じゃあるまいし。

お父さんは眠らせておいて、 仕事をしようかと部屋を移った。

今日の薬を飲み忘れていることに気づいた。

全く全く何をやっているのやら。

お父さん の 前では、 ブーブーおならをしたり、 歌ったり踊ったり バカをやったり、 そんなことならできるのだ。

しかしいかんせん、 2人っきりで 同じ場所にいて、 例えば 時事問題など 固い話題でもないと、 私はまともに喋れないのだ。

テレビを見ているお父さん。
そのお父さんの顔を見ているのが好きだ。

頑張って喋ろうと思うのに、 言葉が出ないのだ。
思う 思いはいっぱいある。
だけど思いすぎて、 いつも私は破裂寸前で、 うっかり喋ろうものなら、 口を開けた段階で 涙がポロポロと出てしまうのだ。

それを隠して隠して、 鼻をかんで 雑な話をして、 いつも私はそうだ。

あんまりにも言葉がありすぎて、 どこの何 から喋っていいのかわからないのだ。

だからいつもお手紙 メールやノートでばかり、 なんとか気持ちを整理して 伝え ている。

しばらく前 お父さんは、 きっぱりと自分の死を受け入れた。

そして自分が死ぬ時の段取りをつけた。

余分な手間暇をかけず、 一切の延命をせず、 人も呼ばず、 ごくごく 簡略に 見とってくれ。

葬儀には金をかけず、 ごくごく 簡略に、 一番安く済ませてくれ。

戒名もいらない。

お父さんは あの時から、 どっしりと 年齢を重ねた樹木のように、 泰然と、 そして 無口になった。

まるで自分の中から 余計な 全てを どんどん 削ぎ落とす かのように、 日々の中で、 そういう作業をずっとしているお父さんは、 本物の男の顔になった。

何も恐れず、 痛いことも 痛いと言わず、 不調があることも不調があると言わず、 全てが自然であるかのように、 お父さんは日々 存在している。

そんな、 何もかもを飲み込んだお父さんの顔は、 実に 決然とした、 透徹とした 男の顔なのだ。

おそらくはこれは、 私の最終的な初恋だろう。

出会った時から比べて、 あんな安っぽい もんじゃない、 もう手も足も出ないほどの 恋心というものを、 私は今 お父さんに抱いている。

お父さんを 仰ぎ見て、 ああもうかなわない、 私はついに、 お父さんという この人に、 何一つ 届かず、 手も足も出ないまま、 ただ ドギマギ として身悶えするだけの、 ちっぽけな 51歳、 そんなまま、 お父さんとのこの時間を過ごすんだろうか。

不甲斐なさに、 己の未熟さに、 泣けて泣けて、 悔しくて、 お父さんが眠ると こういった気持ちがやってきて、 同じくらいに 愛しさが 破裂しそうで、 どうしようもないのだ。

私のこの恋心が、 ちょっとでも成長して 大人になって、 いやもう 超特急で大人になって、 お父さんが見ている彼岸を、 お父さんと手を携えて、 一緒に見るだけの 底力が 欲しいと、 心の底から願う。

時間はないのだ。

1分1秒たりとも 無駄にはしたくない。

ふたりっきりの時間がいっぱい欲しい。

お父さんが 眠る時間は、 日に日に 長くなっていく。

起きた お父さんと の短い時間。

どれだけそれに全てを 込めたいか。

私にも、 時間はないのだ。

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25歳 上の夫(令和5年、77歳。重篤な基礎疾患があります)と私との最後の「青春」の日々を綴ります。

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