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『お別れホスピタル』沖田×華さん著。人生で二度、夫を見送るということ。

沖田×華さんの「お別れ ホスピタル1巻」を読み終えた。
この本は私にとって「禁断の書」であった。
なぜなら私は現在76歳の、しかし体の年齢は86歳の、お父さん(ボビー)と生きているからである。
いっそ 今日は泣いてしまえ。
案の定 号泣した。
そこには 亡き前夫の姿もあり、いずれ来るお父さんの姿もあった。

「1巻」ただこの一冊の中だけでも、たくさんの命の火が消えていくのを見た。
一気飲みしようと思って全巻目の前には積んである。
ところが やはり無理だった。
言葉がなかなか出てこない。
いっぺんに、たくさんの命を見送りすぎた。
命の「終末期」。
私は人生で2回、夫を見送ることになるのだ。

前夫がICU に入っていた時。
脳幹を損傷してしまい、再帰 不能であると告げられた。
お義母さんが、胃ろうしててもいいからと、延命を頼み込んだ。
前夫は気管切開を受け、胃ろうで衰弱死するまで1年半、生き続けることになった。
この選択は、正しかったのかどうか、未だに分からない。

前夫は、私の声にだけ反応した。
目をカッと 見開き、顎が外れるほど 口を開けた。
脳はマダラに出血しており、生きている部分がおそらく知覚しているのだろうと医師は言った。
「生きていてくれること」
前夫が誕生日に買ってくれた セーターを着て、自分の誕生日、骨がもろくなっている夫にすがって泣いた。

初めから死ぬことは分かっていた。
「僕を看取ってください」
これがプロポーズの言葉であった。
やりたいと言ったことはすべて叶えた。
お金を稼ぐ手段は選ばなかった。
夫が私に隠れてお義母さんから月々 35万貰っていたこと。
それを知ったのは、もう 夫がICU に運ばれてからだった。

それであっても。嫌いになれなかった。
面会には毎日通った。
いる間中 ずっと、痰吸引をした。
看護師が足りない 中、夫が 便意を催すと、私は摘便をした。
摘便をすると、夫は真っ赤になって、起き上がろうと体中の筋肉を硬くした。
「生きていてくれるのだ」

やがて前夫はすっかり 衰弱し、目を開ける事もなくなり、ベッドにぶつけては体の骨を骨折し、細く小さくなった。
そこら辺から私の記憶が混濁しており、前夫が衰弱死するまでを見てきたやるせなさはお義母さんやお義父さんに向かい、私は背中に戒名入りの刺青を入れた。

「終末期病棟」には、たくさんのお年寄りがずらりと、胃ろうと人工呼吸器に繋がれて並んでいた。
看護師さんの見回りは主に 昼で、私と息子が面会に行く夕方には静かなものであった。
そんな風景が「お別れ ホスピタル」の中には、その一人一人、「個人としてのその一人」が、1話 1話丁寧に描かれている。

前夫の向かいの ベッドのお年寄りは、目を開けることもなかったが、毎日 私たちと同じ時間、水商売 風の女性が来て、ただ愛しげにずっと頭を撫でていた。
どういう関係かは分からない。
この病院に見舞いに来るのは、前夫(昼はお義母さんと妹さんが来た)と向かいのそのお年寄りだけであった。

「命 」の終焉とは何か。
その人の越し方と家族や恋人との関係。
そしてその人の性分。
「お別れ ホスピタル」には多くの認知症のお年寄りが登場する。
およそ1年に及ぶ 入院でお父さんは何度もせん妄状態に陥った。意識レベルの低下は波があり激しかった。

私は実に、様々な お父さんを見た。
しかしながらどのお父さんも、どんなになったお父さんも、愛しくて愛しくて、可愛くて可愛くて、もうどうしようもなかった。
時にギャングエイジのようになり、時に全く喋れなくなり、時に 無邪気な子供のようになった。
「どのお父さんでもいい。私が守りたい」

認知症の本も買って勉強した。
お父さんに対処するためである。
幸い お父さんは、私には何でも言ってくれた。
お父さん退院を決めたのは、お父さんが「認知症である」との診断を受けたからであった。
とても病院には置いておけなかった。
全ての福祉の手を借りてでも、我が家で二人で暮らしたかった。

お父さんとの時間は、お父さんとの密度は、残酷なほど有限である。
「お別れ ホスピタル」を読んで思う。
あとどれだけ深く、私はお父さんという人を、知ることができるだろうか。
どれだけ 鮮やかに、私の心にお父さんという人を刻めるだろうか。
昨年4月、お父さんは我が家で1度死にかけた。

意識レベルがどんどん低下していき、酸素飽和度が70まで下がった。
「寿命なのだろうか。静かに逝かせるべきだろうか」
もちろん 頭によぎった。
だけども 私は、お父さんの手をパチンと叩き、「お父さん!起きて!死ぬよ!!」そう言って 強引に、お父さんをこちらの世界に引き戻した。

せっかくお家に帰ってきたというのに、お父さんに死んでほしくない。
食事の管理も水分量の管理も、私は鬼のようであった。
今ではお父さんは、自分でタイミングを計りながら食べてはいけないものをほんの少しだけ食べるようになってくれた。
まだまだ。まだまだなんだ。まだ死んでほしくない!!

紙おむつを替える時、お父さんにこう言われた事があった。
「看護師なら平気なんだ!若い女房に糞の始末させるなんて、なんだか俺は抵抗があるよ…!」
「入院中、一緒におトイレやったじゃん!お父さんのお尻の穴からうんこ 引っ張って 出してあげたじゃん!」

そんなお父さんが紙オムツを卒業し、自分でトランクスは履いた日。
「お父さんは!まだまだ、まだまだ元気に生きられるんだ!!」
そんな想いで、どれだけ嬉しかったかわからない。
あそこからお父さんは、どんどん元気になっていった。
そして今、二人のゆったりとしたペースで暮らしている。

近頃のお父さんは、どうやら お風呂に入るのが億劫なようだ。
近頃のお父さんは、私の机の上を片付けてくれたり、ご飯を作ってくれたりと、私もサポートで手一杯である。
最近では、私はヘルパーさんとのやり取りも、お父さんに任せきりだ。
反省しきりである。
私は、お父さんに何もしてあげていない。

お父さんの寂しさが、しんしんと私の体に積もってくる。
そして私も、私自身が、お父さんのぬくもりに飢えていること、お父さんの笑顔に飢えていること、日々それを思い知る。
「お父さんとの時間をやるならば、今じゃないのか?」 
お父さんが倒れた時と一緒だ。
私は仕事でお父さんが見えていない。

お父さんと一緒に笑い合うこと。
これは一番大事なことだ。
何を差し置いても大事なことだ。
沖田さんは、「私は命の傍観者だ」と言った。
私には、沖田さんは、「命の伴走者」に感じる。
この漫画から、沖田さんの声が聞こえるようだ。
「今を大事に」と。

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