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『介護度4』の夫と盛岡へ。心臓ステージ4、腎臓ステージ4を乗り越えて。

お父さんは、 介護度 4 の体であった。
心臓が ステージ4。
腎臓も ステージ4。
あらゆるリスクを想定した。

もしかしたら 盛岡で、 お父さんを看取ることになるかもしれない。
その確率は高かった。

だけれども私たちは、 お父さんが 動けるうちに行ける、 最後になるかもしれない旅、 盛岡行きを選択した。

盛岡に行く 数日前。
お父さんがこう言った。

「 行く前に 薬が変わって おかしくなったら嫌だから 帰ってきてからの話になるけれど、『 物忘れ外来』 を受診して、 認知症の治療を 受けたい。 もう自分で自分に限界なんだ」

環境が変わってしまい、 認知症による幻覚 幻聴 妄想 が 激しくなることは想定されていた。

お父さんと色々と話し合い、 2人は1セットで動くと決めた。

お父さんがホテルで休む日は、 絶対に部屋を出ないこと など。

電車の乗り継ぎと 駅構内を歩くことは、 10分で歩けるところを 30分かかる お父さんにとって、 非常にきついものだった。

何度も休み休み、 盛岡駅に たどり着いて 駅構内を歩き、 タクシー乗り場に行く頃にはもう、 足を引きずるようにして やっとのことで、 息も絶え絶えだった。

ところがだ。
タクシーから 盛岡 市内を見ていたら、 お父さんの意識は 鮮明になってきた。
幻覚 幻聴 妄想 などの 症状が嘘のように消え、 苦しかった 抑うつ状態からも 解放され、 記憶がはっきりと 辿れるようになったのだ。

ホテルに着き、 展覧会が始まり、 その日、 お父さんは激しい 心臓の痛みに 襲われた。
私が 循環器に電話すると言っても 電話するなと言う。
心筋梗塞の一歩手前だった。

長い時間が過ぎ、 お父さんが、 痛みは 和らいだと言った。
「 ついに俺も、 これで最期かな と思ったよ!」
お父さんが あっけらかんと、 ニヤッと笑って そう言った。

休んでいてくれ、 そう言ったのだったが、 お父さんは 翌日も 展覧会に来てくれた。

顔面が蒼白になり、 途中でホテルに帰ることになった。
しかし お父さんが嫌だと言う。
スマートフォンのマップで あちこち 検索しては、 私がドクターストップをかけるまで 商店街をうろうろした。

会期中 1日、 休みを2人とも取って、 それ以降は お父さんに ホテルの部屋の鍵を預け、 休んでいてもらうことにした。

お父さんも、 体が重くてもう動けない とそう言った。

そして最終日が終わった。
撤収が終わり、 橋場先生と スタッフのみんなにお礼を言って、 私が先にホテルへ帰らせて頂いた。

ぐったりと 寝込んでいる お父さんの 酸素飽和度を測ったら、 87まで下がっていた。

連日 の食事が おにぎり だけだったため( 1日だけ ユッケジャンクッパを食べた)、 血圧は 非常に安定していた。

会期が終わった 翌日、 函館へ帰る予定であった。

「 盛岡 で身体を 休めて、 せめて1日 延泊しよう」

そう言ったのだったが、 お父さんは頑として聞かない。

「 なんてことはねえよ! 函館まで空飛んで 見せようか? 俺はそのぐらい元気だぞ!」

お父さんは笑ってそう言うが、 酸素が足りなくて 傾眠傾向がひどくなっていた。

訪問看護師さんとやり取りをし、 新幹線に乗って 新北斗まで来たら救急車を呼ぶ、 そういったことを打ち合わせた。

お父さんは 指先が真っ黒になるくらい、 酸素飽和度が 不足していた。

盛岡を立つ日、 私は 深夜2時から起きて、 延々とお父さんの バイタルの測定 ばかりやっていた。

酸素がどうしても上がらない。

しかし 次第に、 かろうじて 94まで 酸素飽和度が上がってきた。

朝6時半、 お父さんが起きて 服薬した。
血圧は正常値。
脈拍も 落ち着いている。
酸素 飽和度は相変わらず 94。

イチかバチか だった。

薬を飲んだお父さんを、 チェックアウト ギリギリまで眠らせた。

展覧会で再会した、 小学生の頃からの友達 から連絡があった。
息子さんと一緒にいらしてくれて、 車で 駅まで送り、 新幹線の中まで荷物を持ってくれるという。

心の底からありがたかった。

甘えに甘えて、 車で送ってもらい、 荷物は息子さんが持ってくださった。

お父さんは 荷物が持てる体ではない。
だから私が、 鞄 3つを持っての 移動であったのだ。

盛岡駅へ着いた。
何とお父さんの足取りが軽いのだ。
疲れて半分眠っている私を置いて、 お父さんは一人で 駅構内を あちこち散策したりもした。

友達が、 新幹線の中まで 荷物を持って送ってくれた。
昼ご飯まで持たせてくれた。

本当に嬉しかった。
盛岡にいる間、 連日顔を合わせていたので、 非常に 離れがたかった。

新幹線が走りだし、 昼ご飯を食べた 私は、 すっかり眠りこけてしまった。

新北斗に着いた時、 お父さんに起こされた。

半分眠りながら、 慌てて 荷物を持って 構内を歩き、 眠ってしまって転んでしまった。

お父さんに先に歩いてもらった。

乗り換えは、 お父さんの方がサクサクと できた。

私はもう歩きながら眠ってしまって、 荷物は落とす わ 、 足がもつれるわで、 函館ライナー に乗り換えた時 座る スペースが1つもないことに気づいた ところで目が覚めた。

「お父さん、 お父さん 座らなきゃ! 心臓が…!」

お父さんは平気の平で立っている。
「 あなたの方が疲れている。 誰かに席を代わってもらって座れ」

そんなこんなしているうちに、 車内は 観光客ですし詰めになった。

そして お父さんは立ったまま、 五稜郭を通過し、 函館 駅まで行ったのだ。

函館駅で 弟さんが待っていてくれて、 荷物を持ってくれ、 車で送ってくれた。

夜に 疲れが出て、 お父さんの心臓がまた 痛くなりはしないだろうか。

帰宅して 夜、 お父さんとご飯を食べた。

お父さんは活発で、 何が認知症だったんだ という感じで あれこれと片付けをし、 私よりも元気で テレビ番組を ニコニコ 見ていた。

正直 夜 覚悟した。
私が眠っている間、 お父さんは心筋梗塞を起こすかもしれない。

10時頃、 2人で布団に入った。

お父さんはそのまま ぐっすり眠ってしまった。

それを見て なんだか ほっとして、 私も眠った。

今朝起きたらお父さんがいなくて、 追いかけて 居間に行った。

お父さんは6時半頃起きて、 ニュースを見ていた そうである。

自分の荷物 は片付けてあった。

お父さんは 今日は活発で、 あれこれと片付けものばかりやっていて、 私の方はもう 疲労困憊して 長座布団から起きられなかった。

お父さんの足に筋肉がついていた。

「 やっぱ、 外出るっていいな! なんかさ、 いい旅だったよな! やっぱ 歩かなきゃダメだわ!
2人で散歩しよう これから」

いきいきした顔で、 お父さんが笑った。

明日の訪問看護師さんと、 今週の主治医の先生に、 とても ビッグな ご報告ができそうである。

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