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『精神』障がい者じゃなくて『脳部位損傷』障がい者では?

『精神障害者』と、ひとくくりに定義される私を含めた人々のことを考える。

厳密に言えば『精神』と呼ばれるものは存在しない。
『精神』と言うものがあるとしたら、それは全て『脳』であり、『脳』が行う分泌の結果である。

例えば、私の病気、統合失調症に関して言えば、『扁桃体が肥大し、海馬のごく1部の細胞が死に、ドーパミンの分泌が人より過剰で独特の分泌の流出をする状態』を指す。

『心』だの『精神』たのが『病む』と言うからおかしな話になるんであって、それぞれ、各の『脳』のどの部分かが通常の『脳』とは異なる状態になっているから、明らかに病的な言動をしたり、行動したりしてしまうのだと言うことを、もっと当たり前に周知したほうが変な差別もなくなるし、正しく周囲に広まるのではないかと思う。

統合失調症、1つとっても、脳のどの部位が萎縮しているか、脳のどの部位のドーパミンが人より過剰であるかによって、症状も十人十色である。
おそらく、1人として、誰かと全く同じ症状の病者はいないだろう。

よく認知症でそういった話が出る。
『こればっかりは、脳みそのどこがボケるかで決まるから、ボケてみないと選べないもんね』
私たちが普段、自分たちが認知症になる未来をよもや話で話す時、普通にこういった会話になる。

認知症であれば、広くこのように、『脳のどこが損損するかわからない。脳の損傷した部位によって、認知症の症状も様々である』と言う認識が一般的だ。

しかし、なぜか、『精神障害者』に関してだけは、なかなかこのような冷静な理解は得られない。

あからさまに『ばか』扱いもされれば、『明らかに劣っている人』として嘲笑されたり『迷惑な人』として倦厭されたりもする。

おかしなことに、そういった行為をする人は、私の経験上医療に関わっている人に多く、市井の人々に『すみません、障害者です。〇〇ができないので手を貸してください』と言って嫌な思いをした事は1度もない。

果たして、『精神障害者』と呼ばれる私を含めた人々は、社会において一体どのような何者なのだろう?

私の、障害者自立支援の更新の手続きの時、診断書には必ずこう記載されてある。

『AV女優。ストリッパー。漫画家』

この経歴の記載は、何度更新しても同様で、過去の経歴が消される事は無い。

この刻印のような経歴の記載は一体なんだろう?

私は過去の経歴を恥じているわけではないが、延々と記載され続けると、さすがに『治療に何の関わりがあるんだろう?』と思ってしまう。

つまりは、『脳』の扁桃体が肥大しており海馬のごく1部の細胞が死んでおり、脳に萎縮した形跡があり、ドーパミンの流出が人より過剰で独特の流れをしている、その『私と言う人間』に対し、過去からの職歴など問題視すると言うファクターをかけているのは、私が歴代お世話になってきた医療機関そのものであるのだ。

これはおかしなことではないかと思う。

私自身が、理路整然と、物事を話せない状態の『脳の部位の損傷』を持っていた場合、例えば、市役所の障害保健福祉課との対応だったり、入院した場合だったり、高齢になり認知症になり入院した場合だったり、相当に色眼鏡で見られ、とてもまともな対応を受けられなくなるのではないかなと思うのだ。

と、言ったことが、いわゆる『精神障害者』医療の現実で、これはもうさっさと『脳部位損傷障害者』とでも言い換えた方が、偏見も差別もなくなるんではないかと思ったりもする。

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