見出し画像

家族4〜叔母(よっこちゃん)〜

叔母(よっこちゃん)の家族構成

よっこちゃんは祖父と祖母の間に生まれた長女です。
祖父が私の母を連れて祖母と再婚したため
3姉妹の次女になります。
母とは2歳離れています。
叔父(私はおにいちゃんと呼んでいました)と結婚後、
男の子を1人を出産しました。
お兄ちゃんが病死したため、30代頃から未亡人でした。
息子(しょうた)が結婚し、孫が2人生まれました。

叔母(よっこちゃん)の生い立ち、性格

3兄弟の真ん中の子は
3人の中で1番自分の意見を言わずに我慢をしてしまう性格だと
どこかで聞いた事があります。
まさしくその言葉がぴったりなよっこちゃんでした。
幼少時代は、長女である私の母ばかりがちやほやされ、
不平等さを感じていたようです。
三女の叔母(えりちゃん)はあまりそういうことを
気にする性格ではないので、
余計によっこちゃんはひとりで
もやもやしていたのだろうなと思います。
友好的で姉御肌のよっこちゃんは
交友関係が広く、友人がたくさんいました。
よっこちゃんの若い頃の遊んでいた話を聞いて、
“私もその時によっこちゃんと友達やったらよかったのに!”と
言った覚えがあるくらい楽しそうだった記憶があります。
周りの人みんなから慕われる、生粋の姉御肌タイプな人でした。
20歳頃に妊娠し、叔父(おにいちゃん)と結婚しました。
その妊娠中に、お風呂場で足を滑らせ転倒してしまいました。
翌日トイレへ行った際、血の塊が落ちていたそうです。
残念なことに1人目の子は流産してしまったようです。
その何年か後に、再び妊娠し、
今度は無事に男の子が産まれました。
それが私のいとこにあたるしょうたです。
よっこちゃん達はおにいちゃんの地元が和歌山だったため
私が中学生くらいまでは和歌山に住んでいました。
毎年夏休みは和歌山のよっこちゃんの家まで
1〜2週間ほど遊びに行っていたものです。
私が中学生の頃に
おにいちゃんのアルコール依存症がひどくなってきたため、
母と私が住む祖父母の家へ引っ越してきました。
私はその場を見たことはないのですが、
よっこちゃんとしょうたは
だいぶひどい暴力を受けていたようです。
離婚も視野に入れていたようですが
離婚前にお兄ちゃんは亡くなり、未亡人になりました。
その後もしばらくは祖父母の家にいたものの、
息苦しかったようでよっこちゃんとしょうたは
近くにアパートを借り、2人で住むようになりました。
子宮内膜症がひどく、子宮を摘出するまでは
痛みで眠れない日々を過ごしたり、
親子2人よっこちゃんの多くないお給料で
贅沢のできない生活を送ったりと
辛いことやしんどいことは、たくさんあったと思います。
それでも常に周りに友人や彼氏がいたよっこちゃんは
いつも笑顔で楽しそうに
毎日を過ごしていたように私には見えました。

叔母(よっこちゃん)との思い出

小学生の夏休みに和歌山へ遊びに行った時、
よっこちゃんが必ずと言っていいほどに
作ってくれた春巻きが大好きでした。
2種類あって春雨バージョンとハムチーズバージョン。
なぜか祖父母の家に引っ越してきてからは出てこなかった…。
よっこちゃんの思い出の味です。
どっちも美味しかったなぁ。また食べたいなぁ。
ひとりっ子の私にとって
叔母2人(よっこちゃん、えりちゃん)は
実の姉のような感覚でした。
母には話しづらいことや相談などは
よっこちゃんえりちゃんに話すのが、私のお決まりでした。
特に夜遊びや異性関係等の悪い遊びに関しては
よっこちゃんが担当でしたね。
キスマークの付け方を教えてもらったのも、
よっこちゃんでした。わら。
当時の私の彼氏に
“今、俺、友達とおるから、お前も友達連れてこい。”と言われ
一緒に家にいたよっこちゃんを連れて行ったこともあります。
よっこちゃんが友人と遊びにいく時も
よく一緒に連れて行ってもらいました。
飲みに行ったり、ボーリングやカラオケに行ったり、
たくさん楽しいことを教えてもらいました。
母が亡くなった時
“よっこちゃんちの子になり!“と
私にかけてくれた言葉は今でも宝物です。
姉であり、母でもあったよっこちゃんでした。

叔母(よっこちゃん)とのお別れ

母が祖父母と一緒に祖父母の家に住んでいたため
祖父母の老後は母が看るのだろうと思っていたよっこちゃん。
その母が急に他界。
祖父母の件の重荷と、母との急な別れの悲しみで
精神的に負担がかかってしまったよっこちゃん。
元々ストレスが胃にくる体質だったようで、
胃が痛いからと病院に行きました。
その時は何も見つからず、薬だけもらって帰ってきました。
その後も痛みは治らず、ついに吐血。
もう一度病院に行くと“胃潰瘍“と診断され
胃潰瘍の手術を受けました。
それでもスッキリ治らなかったため
大きな病院で検査をしてもらうことになりました。
すると“胃癌”という検査結果でした。
この時には他の臓器への移転もあり
余命2年と診断されました。
これを聞いた病院のエレベーターで
“なんで次はよっこちゃんなん!”と泣いた記憶があります。
癌の箇所によって違うかもしれませんが、
胃癌だったためか、どんどん食べる事ができなくなり
昔はふっくらしていたよっこちゃんが
最後は骨と皮だけになってしまうのです。
余命があると、最後してあげたい事ができる時間があっていいと
思うかもしれません。
でも逆に言えば、どれだけ辛くても
最後まで頑張って病気と戦わなければならないです。
話すことが難しくなり、筆談をしていた時期があったのですが、
えりちゃんに“早くお迎えがきてほしい。”と
書いて見せた事があったようです。
病気と戦っているよっこちゃん本人も頑張っていたのだけれど、
その周りで支え、見守っていた祖父母、えりちゃん、しょうたの方が
色々なことを受け入れ、乗り越えてきたのだと思います。
私と私の母ではきっと乗り越えることはできなかったなと
身をもって痛感しました。
そして母が亡くなった2〜3年後
よっこちゃんは永眠しました。
介護生活、闘病生活で大変な思いをされている方が
世の中にはたくさんおられると思います。
見たくない現実がたくさん訪れると思います。
目を背けたくなることもあると思います。
受け入れたくないこともあると思います。
現状は変えられないかもしれない。
だからこそ自分の気持ちには素直にいていいと思います。
逃げることができることは逃げてもいい。
見なくていいことは目を背けてもいい。
受け入れたくないことは受け入れなくてもいい。
辛い時、しんどい時ほど
自分を甘やかしてあげてください。
私もたくさんの死から逃げてきました。
家族の死に向き合えるほど強いメンタルは持ち合わせてない。
なんなら今でもみんなの死を受け入れてはいない。
それでも事は進み、事は終わる。
月日は過ぎ、毎日が繰り返される。
そして私は今日もなんとか生きているのです。
あなたもきっと大丈夫。
知らぬ間に時は流れるから、無理はしないで。
ただ心に余裕ができた時は、
逃げた時に助けてくれた人たちに感謝をしよう。
いつも側にいてくれてありがとうと。
それが私からの生きるためのワンポイントアドバイス。
人はひとりでは生きていけないのです。
とくに弱っている時はね。
助けてもらう事は、恥ずかしい事じゃない。
一人でどうしようもない時は助けてって言おう。
私はここにいるよ。

姉であり、母でもいてくれたよっこちゃん。
私にたくさん楽しいことを教えてくれてありがとう。
よっこちゃんに花嫁姿見せて、
安心させてあげられなくてごめんね。
空の上でもよっこちゃんらしく笑顔で見守っててね。
たくさんの愛情をありがとう。
私はあなたの姪で幸せでした。
よっこちゃん、大好き。


家族5〜叔父(おにいちゃん)〜へ続く…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?