こだわりとは~「べき」を押し付けるなという話
こだわりを持つこと。
それはそれで、とても良いことだと思うのです。
メガネ男子が良い、細マッチョが良い、サラサラストレートが良い。
⇧これは、私個人の「こだわり」です。
(誰を指すかは推して知るべし)
ピアスは「ネタ系」が良い。
人生においてマヨネーズは欠かせない。
コーヒー飲むなら、牛乳多めのカフェオレ。
仏像は、夫が彫ったもの以外なら、高野山光臺院(こうだいいん)の、快慶作阿弥陀三尊像が推し。
とまぁ、私のこだわりアレコレですが…
時に、自分の「こだわり」を他人に押し付ける人がいます。
「○○がいいよー」
とか
「××のラーメンが美味しいよー」
などの「情報」として教えてくれる分には良いんですけどね。
問題は「べき」を押し付けてくる方々。
「○○はこうする『べき』」
こだわりが強すぎて、それ以外は肯定できない。
自分の意見を主張するのは良いけど、それ以外は全否定する人。
職場のお客さんにも、時々いるんです。
高齢の方ほど、その傾向がみられます。
私はもともと、型にはまるのが苦手です。
なので、「べき」を連発されると疲れます。
反発したくなります(笑)
この傾向、近世のカルト教団にも多く見られます。
「この神(教主)をあがめる『べき』」
「この神(教主)以外は、神じゃない」
…などの、きわめて排他的な考え方。
で、入信→洗脳→最悪テロ行為、にまで発展するわけですね。
(ちょっと過激ですが)
考え方、生き方に「べき」が多すぎると、疲れると思うのです。
「べき」に縛られる気がします。
なので私は、
「原則と例外」
を意識しながら生きています。
「これは○○、でも××もアリ」
という考え方ですね。
人生ゆるーくいきましょうや。
その方がラクですって。
(ゆるく生きすぎると堕落しますが)
ですが、夫のコンタクトレンズ着用には、断固反対します。
夫はメガネであるべきなのです。
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